[ 2010年4月23日 06:00 ]

作品を完全に掌握しているような安定したセゲルスタムのリードで読売日響も普段にも増して地に足がついた説得力満点の演奏を披露 (C)浦野俊之。

 第7番は既視感にとらわれる不思議な曲です。例えばワーグナーの「ワルキューレ」の動機やリヒャルト・.シュトラウスの「ばらの騎士」のワルツを彷彿とさせるフレーズの”断片”が随所にコラージュされているような気さえするのです。これは私の思い過ごしかもしれません。ただ、回想記によるとアルマは「ワルキューレ」をとりわけ好んで弾いていたそうです。さらにマーラーを驚かせようと、「ワルキューレ」の楽譜にマーラーが書いた唯一の恋歌ともいうべき歌曲を挟んでおいたこともあったとか。マーラーがそれを見つけた際、2人は少なくとも20回はともに歌ったというエピソードも。また、アルマはこのようにも記しています。

(以下引用)「マーラーはよくこう言った。“シュトラウスとぼくは1つの山の両側からトンネルを掘っているようなものだ。いつか一緒になるだろう”」
 指揮者として先人たちが作った音楽に魅せられる一方で、音楽史における自分の立場を憂いていたのではないだろうか。はたまた、彼にとって作曲とは名声を上げたいという恣意的な行為ではなく、さまざまな音楽を指揮することで頭に入って来た要素を順次吐き出すための作業である。いずれも違うのかもしれません。確信が持てたことはマーラーが難解である理由(わけ)、それは彼が純粋過ぎたからなのではないでしょうか…。
 また、もう1つ間違いないと思えることは、当時の聴衆には意味不明に感じられたということ。特に大団円を繰り返すところなど、私にも粘り過ぎだと感じられます。

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2010年4月23日のニュース