阪神ドラ3・井坪、駆け上がる“新庄ロード”! 走攻守そろった高卒外野手の大先輩目標「楽しくやりたい」

[ 2022年12月29日 05:15 ]

友人とともに階段をダッシュで駆け上がる井坪(左)(撮影・木村 揚輔) 
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 阪神ドラフト3位・井坪陽生外野手(17=関東第一)が八王子リトルシニア時代の拠点だった鑓水(やりみず)球場で自主トレを公開し、日本ハム・新庄剛志監督(50)の阪神時代のようにファンを魅了する選手になることを誓った。

 「将来的には(野球を)楽しくやってたい。枠や型に、はまりたくないので、周りから見て、楽しそうにやれればいいと思う」

 阪神時代の新庄は“虎のプリンス”とも称され、「記録よりも記憶に残る」スターだった。予測不能なプレーも持ち味で、井坪も魅了された一人だ。「敬遠を打ったやつとかは印象に残っている。すごい…。あり得ないです…」。99年6月12日の巨人戦は延長12回1死一、三塁から敬遠球を左前へサヨナラ打。生まれる前の出来事でも、伝説の名場面を動画サイトで目の当たりにし感銘を受けた。

 「意外なプレーをする印象。(他の)人がやらないようなプレーが多いので、見ていておもしろい」

 高校生からプロ入りした右打ちの外野手。走攻守すべてを武器にするところも同じだ。だからこそ“新庄ロード”を駆け上がり、一流の称号を手に入れる未来図を夢見る。自主トレでは球場の近くにある鑓水公園で124段の階段ダッシュを披露。八王子シニア時代は冬季練習の日課で、スターへの階段を上がるためにも原点に戻った。

 「レベル的には全部を上げないといけない。自分の中でも、まだうまくなれるというのはあるので、しっかり全部レベルアップしていきたい」。3位指名を受けた10月20日のドラフト当時と比べ、約2カ月強で4キロほど増量して体重90キロ。第一歩となる体づくりに余念はなかった。

 ▽阪神時代の新庄 89年ドラフト5位で西日本短大付から入団。2年目の91年9月10日、巨人戦で1軍デビューし、9回に代打で中前適時打を放った。92年5月26日の大洋戦で負傷欠場のオマリーに代わって出場し、第1打席のプロ初本塁打をきっかけにレギュラー定着。同時期に頭角を現した亀山努と優勝争いに貢献し、「亀・新フィーバー」を巻き起こした。

 93年には球団史上最年少21歳8カ月で初の先発4番を務め、ベストナインとゴールデングラブ賞を初受賞。4番で自己最高の28本塁打85打点を記録した00年オフにFA権を行使。阪神の5年12億円など国内球団の提示を断り、年俸20万ドル(約2200万円)で米大リーグ・メッツに移籍した。阪神在籍11年間で通算1054試合145本塁打518打点65盗塁、打率.249。ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞7度。

 ◇井坪 陽生(いつぼ・ひなせ)2005年(平17)3月17日生まれ、東京都八王子市出身の17歳。4歳から野球を始め、小4から「八王子リトル」で三塁手。七国中では「八王子シニア」に所属し、3年時にアジアチャレンジマッチでU15日本代表選出。関東第一では1年秋に4番に座り、レギュラー定着は2年秋。甲子園出場はなし。高校通算32本塁打。1メートル77、90キロ。右投げ右打ち。

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