奇跡のオリックス優勝 気丈に歩んだ中嶋監督「夢でも起用法考えた」コロナ隔離療養時は自宅でも指揮取った

[ 2022年10月3日 05:33 ]

パ・リーグ   オリックス5‐2楽天 ( 2022年10月2日    楽天生命 )

<楽・オ>優勝を決め、胴上げされるオリックス・中嶋監督胴上げ(撮影・篠原 岳夫)
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 オリックスは2日、勝利が優勝の最低条件だったシーズン最終戦の楽天戦を制し、ソフトバンクがロッテに敗戦。両軍が76勝65敗2分けの同率で並び、リーグ規定により今季直接対決を15勝10敗で勝ち越したオリックスが上回った。故仰木彬元監督(享年70)流の「中嶋マジック」でチームを頂点に導いた中嶋聡監督(53)は5度、宙を舞って喜びをかみしめた。

 9回を託された阿部が最後の打者を打ち取ると、中嶋監督は両手の拳を握りしめた。すぐに場内ビジョンにZOZOマリンでのソフトバンク戦が映し出され、わずか2分後、歓喜の瞬間が訪れた。中嶋監督は目頭を押さえた。秋田出身。東北の夜空に5度、舞った。

 「感無量というか。みんなが頑張って、ここまで連れてきてくれた。泣いてねえし。汗だし。泣きそうだったけど。すげえなって。すげえことが起きるんだなって。泣いたなんて何年ぶりか…だから泣いてねえっつの」

 大一番でも大胆だった。T―岡田をベンチから外し、今季9試合だけの出場だった高卒2年目の来田を昇格即「8番・DH」に抜てき。昨季の本塁打王だった杉本をベンチに置き、宮城も救援待機させた。9回は守護神・平野佳ではなく阿部を投入。3者凡退に退けて、通算3セーブ目の胴上げ投手になった。

 歴史的な大混戦を最後の最後で、ひっくり返した。単独首位に立ったのは、この瞬間まで9月10日の、たった1日だけ。優勝の同率決着は史上初。因縁めいた「10・2」に、ソフトバンクとの直接対決の成績で制した。2年連続で、一度もマジックが出ないままの連覇は、プロ野球史上初だった。

 不退転の覚悟だった。2年連続最下位からリーグ優勝を果たし、単年契約を結んだ昨オフのこと。実は、球団からは2年契約を打診されていた。手腕と育成能力を高く評価され、見合ったオファーを提示されたが断った。選手たちは一年一年が勝負――。「単年で」。迷いはなかった。

 気丈だった。8月25日に新型コロナウイルス陽性判定を受けて離脱したが、隔離療養していた都内の自宅でも指揮を執っていた。試合前と試合後に、代行監督だった水本ヘッドコーチと電話で連絡を取り合い、起用法や作戦面など細部まで指示した。「テレビでずっと見ているのは不思議だった。迷っているなとか、構えが違うなとか」。試合前には炭水化物を中心に、試合後は選手が引き揚げてから人目を避けるように、おにぎり3、4個を監督室に持ち込んで平らげていた。それでも、心身は削られた。

 「選手が、ただ、やりたいようにやっているだけでは駄目だ」。自主性を重視して奔放だったチームに規律を与えた。中垣巡回ヘッドコーチによる運動生理学に基づいたドリルを全員に課し、基礎能力の向上を図った。自立も促した。選手が自発的に考えた練習や取り組みには「やってみろ」と背中を押した。

 「選手が失敗しても、こっちの責任。取り返そうとする姿を見せてくれたら我慢できる」。若手の急成長を促したスタイルは、名将・仰木彬監督とダブる。球団幹部は「選手は意気に感じるし、他の選手にも伝わる。“頑張れば俺も出られる”と。その好循環が昨季から続いている。仰木さんの起用方法と同じだ」。データに直感を加えた、恩師譲りの“中嶋マジック”だった。

 「去年は日本で2番目だった。日本一になるしかない、なるぞ!」。3月25日の開幕戦前、ナインを鼓舞した。前回連覇(95~96年)に導いた仰木監督は96年で日本一に輝いた。まずはクライマックスシリーズ(CS)を突破すること。「最初からやるのとは変わってくるし、日にちも変わってくる。また相談してやっていく」。そして今度こそ頂点をつかむ。(湯澤 涼)

 ◇中嶋 聡(なかじま・さとし)1969年(昭44)3月27日生まれ、秋田県出身の53歳。鷹巣農林高から86年ドラフト3位で阪急入り。正捕手として95、96年のリーグ連覇に貢献。西武、横浜(現DeNA)、日本ハムを経て15年限りで引退。1軍通算1550試合で804安打、55本塁打、349打点。日本ハムのコーチなどを経て19年にオリックス2軍監督就任。20年8月21日から1軍で監督代行を務め、シーズン後に監督就任。1メートル82、84キロ。右投げ右打ち。

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2022年10月3日のニュース