【あの甲子園球児は今(16)上宮・黒川洋行】人生変わる舞台で頂点、指揮官として奈良から都市対抗目指す

[ 2022年8月20日 07:30 ]

93年、第65回選抜大会2回戦の横浜戦でサヨナラ打を放ちジャンプして喜ぶ上宮・黒川
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 奈良を拠点に来季から本格始動するSUNホールディングス硬式野球部の監督を務める黒川洋行は、目指すべきスタイルを次のように明かした。

 「ノーサインで勝てるようなチームをつくりたい。そこに行くまでは大変でしょうが、選手が動かされているうちは作戦も決まらない。選手の方から“ヒットエンドランを出してくれ”と思ってそのサインが出ると、やはり決まるんです」

 原点は上宮で過ごした3年間にある。自身にとって初の甲子園出場となった1993年の選抜。延長10回サヨナラ勝ちした初戦の2回戦・横浜戦は、選手たちの状況判断が勝因の一つだった。

 「監督さんからは“常に周りを見て状況判断するように”と教わってきました。それがあの場面では生きたと思います」

 先頭の西村真一が左前打で出塁すると、続く松久直規は自身の判断でバスターに切り替え左前打で続いた。無死一、二塁とし次打者・村上悟は自らも生きようと三塁前へセーフティーバント。これまた見事に決まって無死満塁の局面をつくりあげると、1死後に主将を務めていた1番・黒川が左越えにサヨナラ打を放った。根底には田中秀昌監督(現近大監督)の教えがあった。

 「一番、印象に残っているのが、この横浜戦です。大阪代表として負けられない思いが強かった。プレッシャーはあったと思います。その後は、あれよあれよというか。一つ上の先輩方は力もあって全国制覇を狙えるチームでしたが、僕らは監督さんからも“一つ勝てればいいよ”と言われる感じでした」

 3回戦で鹿児島実を11―1で退けると、準々決勝の東筑紫学園戦は吉川晃司が5安打完封。準決勝で駒大岩見沢に11―4で大勝すると、決勝の大宮東戦では左腕・牧野光将が完封し初優勝を飾った。

 「僕も含めてですが、甲子園では力以上のものが出せたと思います。あとは人生が変わるということも痛感しましたね」

 上宮に在学中、激励に訪れるOBからは「甲子園に出たら人生が変わるぞ」ということを再三再四、聞かされてきたという。選抜後は周囲の環境も一変。通学時に見知らぬ人から声をかけられるようになり、多くの大学から勧誘を受けた。

 地道に積み重ねた努力の末に手にした成功体験は、3人の子供にも受け継がれた。「甲子園は出るところやぞ!」。幼い頃には当時の映像を見せ、事あるごとに「ええ所やぞ」とも伝えてきた。長男・大雅(現ミキハウス)は日南学園で16年春夏に出場。二男・史陽(現楽天)は智弁和歌山で17年夏から5季連続出場を果たした。三男・怜遠も星稜2年時の20年選抜で背番号15をゲットしたが、新型コロナウイルス感染拡大のため大会が中止に。それでも、今春入学した日体大でリーグ戦出場の機会をうかがっている。

 「甲子園は強いだけでは行けない。運も必要だし、もっと言えばチームメートに恵まれないと行くことはできない。そういう意味で私も含め4人とも仲間に恵まれたと思います」

 今も、感謝の思いが消えることはない。だからこそ、「黒川家」は気まぐれな勝利の女神を何度も振り向かせることができるのだろう。=敬称略=(森田 尚忠)

 ◇黒川 洋行(くろかわ・ひろゆき)1975年(昭50)7月31日生まれ、大阪府出身の47歳。上宮では3年時の93年選抜に出場し優勝。同大、ミキハウスでも内野手として活躍した。セガサミーで7年間、コーチを経験。来春からSUNホールディングス監督として、奈良県から都市対抗野球出場を目指す。

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