元メッツ・コーチのピニャタノ氏が死去 92歳 現役最終打席でメジャーただ1人の三重殺

[ 2022年5月24日 11:29 ]

メッツのコーチ時代にシェイ・スタジアムでトマトを栽培していたピニャタノ氏(AP)
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 メジャーでただ1人、現役最後の打席を三重殺で終え、コーチ時代にブルペンでトマトを栽培したことでも有名になったジョー・ピニャタノ氏が23日、フロリダ州ネイプルズの介護施設で死去。AP通信によれば、認知症を患っていたとされており92歳だった。

 ピニャタノ氏は1948年にニューヨーク州ブルックリンに本拠を置いていたドジャーズと契約したが、メジャー昇格は9年後の1957年。現役期間は6年で、メッツで迎えた1962年9月30日の自身最後の試合(対カブス)の最終打席ではトリプルプレーでピリオドを打った。

 歴史的な打席?はシカゴのリグレーフィールドでの試合の8回表。1―5と4点を追っていたメッツはサミー・ドレイクとリッチー・アッシュバーンの連続ヒットで無死1、2塁。ここで打席に立ったのが結果的に現役最終打席となるピニャタノ氏で、バットを折りながら放った一打はライト方向への浅いフライ。この時点でドレイクとアッシュバーンはヒットだと確信して次の塁を目指してスタートを切っていた。

 しかしカブスのケン・ハッブス二塁手が好捕して一塁のアーニー・バックスに送球。このあと二塁ベースをカバーしていた遊撃手のアンドレ・ロジャースにボールが送られ三重殺が成立した。

 現役最終打席で三重殺を記録したのは現在もなおピニャタノ氏だけ。1965年以降はブルペンコーチなどを務め、メッツには1968年から14シーズン在籍し、1969年には“ミラクル・メッツ”と呼ばれたチームの快進撃にも貢献した。

 捕手として通算307試合に出場して打率は・234で16本塁打。ただし同氏は野球だけでなく“家庭菜園”でも話題を提供。シェイ・スタジアムのブルペンの片隅でトマトを栽培し、のちにヒマワリやトウモロコシまで植えられる規模になった。

 1974年には日米野球で来日。王貞治氏とハンク・アーロン氏のホームラン競争では投手役を務めている。

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