阪神・湯浅の素顔 父は飛躍を確信していた…今年1月のキャッチボール「捕るのが怖いと思った」

[ 2022年4月12日 05:30 ]

19年1月、思い出の地・尾鷲市営球場で自主トレを行った湯浅

 阪神の新守護神を務める湯浅京己投手(22)の素顔に迫った。三重県尾鷲市に暮らす父・栄一さん(50)と母・衣子さん(49)が知られざるエピソードを証言するとともに、1軍で奮闘する愛息にエールを送った。(取材・構成 長谷川 凡記)

 湯浅が家族に見せる顔は、マウンド上での気迫あふれる姿からはかけ離れたものだった。普段は心優しい22歳の青年。母・衣子さんは愛息の気遣いに涙することもあるという。

 「よく感謝を伝えてくれる子で、私の誕生日には必ずメッセージをくれますし、自分の誕生日にも“生んでくれてありがとう”と連絡をくれるので、私は毎年のように隠れてうれし涙しています」

 日頃から頻繁に連絡を取り合うなど仲の良い親子だが、感謝の気持ちを素直に言葉にしてくれるという。入団直後は腰の故障でまともに野球ができない日々が続いたが、両親は復帰を信じてサポートを続けてきた。衣子さんは言う。

 「寮に果物や大好きな抹茶のスイーツを差し入れするなどして、応援してきました」

 一時は腰にコルセットを巻き、日常生活にも支障をきたすほどだった。苦境を乗り越え、4年目でつかんだ初の開幕1軍切符。昨年までの守護神・スアレス(パドレス)をもじり、「ユアレス」と称されるまでになった飛躍への“予兆”を、父・栄一さんは今年1月の時点で感じていた。

 「僕も三重高、法政大、社会人まで野球を続け捕手でした。今まで受けるのに恐怖心とかはなかったんですけど、今年は球速も球の質も上がっていた。初めて捕るのが怖いなと思いました」

 年末年始の帰省時はキャッチボールが恒例行事。直近2年は故障者リストに入っていたため全力投球ではなかったが、リミッターを解除した今オフは著しい成長が見られた。

 名前の京己(あつき)には「己の京(みやこ)を築けるように」という思いが込められている。ストッパーは、チームの勝敗を背負う過酷なポジション。「大したもんだなと思いながら見ています。これからも頑張ってもらいたい」。その名のごとく、重責にふさわしい投手になることを、両親は願っている。

 《投げている姿見てもらいたい》
 湯浅は両親への恩返しを誓った。

 「自分が投げている姿を見てもらいたい。支えてきてもらっているので、一番恩返ししたい」

 初の開幕1軍をつかんだ今季は、6試合で無失点。6日のDeNA戦で延長11回無死三塁をしのぐと、8日の広島戦では延長10回から登板して2回を零封した。球場への招待プランを温めるのも、モチベーション維持にひと役買う。過去3年で1軍登板はわずか3試合ながら、緊迫した場面でも役割を果たす。

 「緊張はしますけど、マウンドに行ったらやるしかないので。緊張というよりはやってやるという気持ちでやっています」

 矢野監督から大役を託された以上、どっしりと構えるしかない。これからも攻めの投球を貫き、確固たる地位を確立していく。

 ◇湯浅 京己(ゆあさ・あつき)1999年(平11)7月17日生まれ、三重県出身の22歳。聖光学院では3年夏の甲子園でメンバー外。18年にBC富山へ入団し、同年ドラフト6位で阪神入り。21年6月3日オリックス戦で1軍初登板。1メートル83、81キロ。右投げ右打ち。

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