【内田雅也の追球】苦労と努力で生きてきた新庄監督 明るく前向きにとらえる姿勢こそ成功への道

[ 2022年2月12日 08:00 ]

練習試合   阪神3ー3日本ハム ( 2022年2月11日    名護 )

<練習試合 日・神> 試合中、ファンに手を振る新庄監督(撮影・大森 寛明)
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 新庄剛志と再会を果たした。タピックスタジアム名護(名護市営球場)の監督室に笑顔の彼がいた。練習試合前の忙しい時間を割いてくれた。

 最後に会ったのはいつだろう。日本ハムで現役を引退した2006年か。それより03年、ニューヨーク支局から帰任する際、シェイスタジアムのロッカーでの別れをよく覚えている。ロッカーにあった使い古しのメッツTシャツを放ってよこし「あげるよ」と笑った。

 当時、彼は苦しんでいるように思っていた。メジャーリーグの激しい競争社会で生き抜いていくのは相当なことだ。日本人としてマイノリティーの不遇もあったろう。マイナー暮らしも経験した。話し相手がなく、ロッカーに顔を突っ込み、日本語で話しかけたりしたそうだ。自宅マンションでは日本から届いた、お笑い番組のビデオを見ていたと聞く。

 くどくど書かないが、彼は幼いころから、苦労と努力で生きてきた人間である。ただし、そんな苦労や努力を決して表に出さなかった。いつも明るく、常に前向きで、野球人生を満喫していた。

 久々の再会に彼は「いろいろありましたけど……」と言った。「まさか、こうして、監督になって、また会えるとは思っていませんでした」

 ほんとにいろいろあったなあと思い、「そんな経験や苦労が監督としての肥やしや強みになるよ」と言うと「でも僕、それを全然苦労だなんて思ってないんですよ」と真顔になった。

 この姿勢である。9日付で<辛い競争を「楽しむ」>と書いた。もう一度書いておきたい。苦労や努力を明るく前向きにやれるか。それが成功への道ではないだろうか。

 この日の阪神はビジターの練習試合で若手主体のメンバー編成だった。生き残りをかけた試練の場で選手たちの必死さが伝わってきた。

 たとえば、二塁で先発出場した熊谷敬宥は二塁寄りゴロ、一、二塁間のゴロに身をていしてさばいた。三塁で途中から三塁に入った遠藤成は三遊間ゴロを、一塁に入った小野寺暖は一塁線ゴロを飛びついた。守備に闘志が現れ出ていた。

 いまの選手気質だろうか。苦労や努力を表に出すのを嫌っている。それでも、見ていれば、分かる。必死さや泥臭さは伝わるものなのだ。

 いまやビッグボスとなった新庄のように、いまは苦労や努力を重ねる時である。 =敬称略=
 (編集委員)

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