元日本ハム監督・大島康徳さん“見せない”生きざま 奈保美夫人「今でも、いなくなった気がしない」

[ 2021年12月31日 05:30 ]

18年ごろ、奈保美夫人、愛犬・祭と寄り添い笑顔を見せる大島氏(大島康徳氏公式ブログから) 

 2021年は2年続けて新型コロナウイルスの感染拡大が猛威を振るう中で、夏の東京五輪では侍ジャパンが金メダル。大リーグではエンゼルス・大谷が二刀流で大活躍し、日本シリーズはヤクルトの20年ぶりの日本一で幕を閉じた。そんな球界では元日本ハム監督の大島康徳さんが6月30日、大腸がんのため70歳で死去。最愛の夫の長い闘病生活を支えた奈保美夫人(61)が手記を寄せた。

 6月上旬に腹水を抜く治療をして、その後に仕事にも行っていたんですが、(6月12日に)最後の大リーグの中継で、放送が終わってからしばらく席を立てなかった。最後だと思ったのか、本当にしんどかったのか。そこから2週間後でした。最期は眠るように。入院は(亡くなる2日前の)28日。看護師さんには「家にいたい。(仕事柄)家族といられる時間が短かったから」と最後まで入院を拒否していたそうです。

 彼は仕事を家に持ち込まない主義。現役当時は男の職場に女子供が顔を出すな、という雰囲気でした。でも、2000安打の時は見に行きました。若菜(嘉晴)さんたちに「世紀の瞬間なんだから」とそそのかされて東京ドーム、(遠征先の)盛岡、福島と。でも、東北遠征中に「お前が来ているから心配して集中できない」と言われてケンカしたので、福島では帽子とだて眼鏡で変装して見ました。結局、仲直りした後、行かなかった西宮で(2000本目が)出たんです。

 監督は広報的な部分も必要。そういうのは苦手だったのかなと。でも、来てくれたファンをどう喜ばせるかとか、球団と凄く話していました。(当時の)ダイエーのように、試合に勝った時の演出ができないかとか、子供はタダにしてとか。

 今でも、いなくなった気がしません。家にいても何となくいるような気がして。苦しい姿、見ていないんですよ。(見せないことが)自分の生き方でもあるし、家族にもそうしてあげたかったんじゃないかな。ここ1、2カ月でそう思うようになりました。(大島 奈保美)

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2021年12月31日のニュース