阪神・矢野監督独白!中日とのメモリアル2000試合目へ特別な勝利で「歴史重ねる」

[ 2021年5月11日 06:30 ]

1992年10月1日の阪神戦で、延長10回にサヨナラ打を放ち、声援に応える中日・矢野
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 メモリアルウイークで首位固めだ。阪神は11日の中日戦(甲子園)、15日の巨人戦(東京ドーム)でそれぞれカード通算2000試合の節目を迎える。中日からトレード移籍した経験を持つ矢野燿大監督(52)は、同戦に向けた特別な思いをスポニチ本紙に明かした。両カードとも今季の対戦成績は3勝3敗。ペナントレースを抜け出すべく、白星を量産する。

 タイミングが合わないとそんなことにならないから縁を感じる。2000試合というのは、積み重ねてきた先輩方がおられたから。こうやって指揮を執らせてもらっているのも縁。監督を辞めて何年かたったあとも「2000試合はコロナでこんな状況だったな」というのは、かなりクリアに思い出せる出来事だと思うしね。特別変わったことをできるわけじゃないけれど、いつも通りの戦いにプラスαそういう歴史を重ねられたという意識を持ちながら、戦えたら良いと思う。

 トレードで阪神に来るなんて、思ってもみなかった。星野さんに負けたくない、中日を見返したいという二つがパワーになっていて。阪神―巨人という伝統の一戦もありながら、それと変わらないぐらいのモチベーションで中日戦に臨んでいた。中日にはお世話にもなったし、自分の力以上のものを出させてもらえたと思う。

 中日時代の阪神戦は初ヒットが甲子園での初ホームラン(※注1)だったからその印象が強いのと、阪神が優勝争いしてる92年にナゴヤ球場で猪俣さんからプロで初めてサヨナラヒットを打った(※注2)。あの頃のタイガースファンは元気だったから、なかなか駐車場の方へ行けず、ロッカーで待機してたのも思い出かな。

 初めに星野さんの下でやれたのは、本当にラッキーだった。ある意味、それ以上厳しいところはなかったと思うし、練習もめちゃくちゃしんどかった。そこが基準になって、その後のプロ野球人生を耐えられた部分もある。勝ちに対する執念も学ばせてもらえた。

 井上ヘッドもそのときの縁というか、若い頃に一緒に苦しんで同じ時を過ごしたからこそ、いま同じ思いで戦ってくれている。(トレードの交換要員だった)久慈と一緒にやっているのも不思議な縁。つながっていることを感じるよね。

 監督としては、勝つだけじゃなく、子どもたちに夢を与え、タイガースの選手たちの魅力をもっと見てもらいたい。簡単にはできないことだけど「苦しい時こそ楽しもう」というメッセージは伝えていきたいし、全力疾走も見てほしい。ここまではタイガースらしい戦いができているし、勝つという部分以外もやりきってくれている選手たちを誇りに思う。みんなコロナで大変な思いをしているけれど、オレたちから元気を届けたい。(阪神タイガース監督)

 ※注1 新人の91年8月26日(甲子園)3点を追う9回、無死一塁で代打で登場。野田からプロ7試合目(7打席目)初安打、初本塁打となる左越え2ラン。

 ※注2 92年10月1日(ナゴヤ)同点の延長10回2死一、二塁。猪俣から左翼線へ、プロ初のサヨナラ適時打。

 ▼阪神・井上ヘッドコーチ(現役時代は1990~2009年に中日在籍)2000という数字はね。長い歴史のある球団だからこそっていうのところがある。僕はドラゴンズで育ってきた人間ではあるけども、阪神に携われているっていうような気持ちのなかで、感慨深いものはある。そういった試合のときに立ち会えたなという、遠く、この先もいい思い出になるなというふうに個人的に思います。チームとすれば、これから3000、4000と続いていかないといけないんですよね。それを見守る上で、通過点のなかでいれたっていうのはよかったと思います。

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