【藤川球児物語(33)】涙の被弾でCS敗退 退任する岡田監督と涙の握手

[ 2020年12月16日 10:00 ]

08年10月20日の中日とのクライマックスシリーズ第1ステージ第3戦(京セラドーム大阪)に敗れ、退任する岡田監督(右)と泣きながら握手する藤川球児(左)

 開幕から首位を走り、マジックも点灯させながら、08年の阪神は最後に力尽きた。141試合目の巨人戦で首位陥落。10月10日に原辰徳率いる巨人の優勝が決まった。原が「メークレジェンド」と名づけた大逆転。阪神の衝撃は大きかった。

 監督・岡田彰布は翌11日、横浜スタジアムのロッカーで藤川球児ら選手を前に「俺は責任を取って辞める。でも、CSがある。それは頑張ろう」と伝えた。実績のなかった藤川に輝ける場を示した指揮官。決意を伝えられた後、藤川は1対1で話し合いを行ったという話も伝わる。「監督の責任ではない」と言いたかったのかもしれない。

 決戦はCSに舞台を移した。これが最後。文字通りのクライマックス。京セラドーム大阪での中日との第1ステージ。初戦を0―2で落とし、2戦目は鳥谷敬の2本塁打などで7―3で勝利。下柳剛―アッチソン―ウィリアムス―久保田智之とつなぎ、9回を藤川が締めた。立浪和義、荒木雅博を三振に仕留めるなど、スキのない投球だった。「負けたら終わり。いずれ終わるけど、できる限り監督とハイタッチしたい」と気合を入れた。

 勝負は第3戦、10月20日だった。岩田稔、吉見一起の息詰まる投手戦。8回を終わって0―0。岡田は9回、迷わず「投手・藤川」を告げた。先頭の立浪和義が中前打で出塁し、場面は2死三塁。打席は4番ウッズ。常に全力で勝負してきた相手だ。横浜時代の04年10月に一発を浴びた。以来、藤川はグラブに「本塁打厳禁」と刺しゅうを入れた。05年から4年間、公式戦では本塁打を打たれていなかった。

 フルカウントからの6球目、「三振を狙った」という150キロをウッズのバットがとらえた。打球は左翼中段に飛び込んだ。藤川は目で追うしかなかった。気がついたときには涙があふれた。

 戦いが終わり、グラウンドに整列した選手と岡田は握手を交わした。

 「監督、申し訳ありません」

 「最後に打たれたのがお前で良かったよ」

 涙に暮れた日から12年。藤川の引退セレモニーには花束を持った岡田の姿があった。=敬称略=

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2020年12月16日のニュース