【猛虎最高の瞬間(4)】借りたパンツで放った現役最後の“掛布弾”

[ 2020年5月28日 08:00 ]

藤井打撃コーチのユニホームを借りて生還する掛布
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 創刊72年目のスポニチ紙面を掘り起こし、偉大な選手たちが阪神のユニホームで打ち立てた「猛虎最高記録」と、その瞬間に迫る連載の第4回。掛布雅之内野手(当時33)が球団最多349号本塁打を放った1988年7月6日にスポットライトを当てる。

 【1988年7月6日】

 一部カラー化が進んでいたスポニチの翌7日の一面には、赤見出しが躍った。「掛布出た 5号2ラン」。チームは6日の時点で62試合28勝33敗1分けの最下位に沈んでいたが、やはり「掛布」はビッグネームだった。まだシーズンは、折り返し前。まさか、この一発が現役最終本塁打になるとは、この時点では本人を含め誰も想像していなかったに違いない。

 「猛虎最高の瞬間」が訪れたのは、1点リードの8回だった。2番・和田豊が左前打で出塁し、無死一塁で3番・掛布雅之が打席へ向かった。そして相手3番手の左腕・清川栄治が投じた変化球を、広島市民球場の右翼席へ運んだ。実に5月26日以来、26試合109打席ぶりの5号2ランで勝利を決定付けた。翌7日は安紀子夫人の誕生日。通算349号本塁打は前祝いの一発でもあった。上機嫌の試合後、背番号31の口も滑らかになった。

 「スライダーか、カーブが真ん中に入ってきた。本当に久しぶりですね。109打席ぶりですか。遅いと言えば遅いけど、藤井さんから借りたユニホームがよかったのかも。あと1本で350号。でも記録のことは、あまり意識しないようにしていきます」

 実は6回の守備で接触プレーがあり、ユニホームの左内股部分が破れて出血していた。そこで藤井栄治打撃コーチから借りたパンツでプレーしていた。サイズの合わないパンツで放った豪快弾。どこか「昭和」のにおいを漂わせる一撃だった。

 通算350号に王手を掛けた掛布。だが残り1本は果てしなく遠かった。スポニチでは8日後の14日付紙面で「引退決意」と報道。その14日、掛布は左膝痛の悪化などを理由に2軍に降格となった。腰痛なども抱えており、すでに満身創痍(そうい)の状態だった。

 9月14日に引退を正式表明。10月10日、甲子園球場でのヤクルトとのダブルヘッダー第2戦が引退試合となった。5万人の大観衆が見つめる中、「4番・三塁」で先発出場も、3打数無安打に終わった。最後の打席は四球でバットを置いた。「最後が四球というのもボクらしい」と振り返り、「ありがとうという言葉しか見つからない」とこうべを垂れた。(惟任 貴信)

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