阪神 淡路大震災から3カ月…いまもセ・リーグタイ記録として残る開幕戦最長14回の激闘

[ 2020年4月2日 05:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

中日との95年開幕戦延長14回、パウエルの右前打でサヨナラ負けし、ぼう然とする郭李(右)
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 【1995年4月7日】監督の中村勝広はナゴヤ球場の三塁ベンチで思わず天を仰いだ。「こんな試合もある」。就任6年目の開幕。無情の結末をあえて淡々と受け止めた。

 同点で迎えた延長14回。敬遠策で塁を埋めた2死一、二塁で、郭李は高めの直球でパウエルを詰まらせた。打ち取ったかに見えた打球が一、二塁間を抜けた。右翼を守っていたのは13回に代打出場した長嶋清幸。送球を急ぐあまり何度もボールをこぼし、最後は芝生の上にあおむけになった。

 2年連続で開幕投手を任せた湯舟敏郎は熱投だった。6回まで毎回9三振を奪い、1人も走者を出さない完全投球。7回1死で種田仁に捉えられ、中堅右への二塁打で快挙は消滅した。この時点で70球。まだ余力は十分に残し、後続も簡単に断った。2点の援護をもらい、完封も見え始めた8回に落とし穴が待っていた。

 先頭で二塁打されたパウエルが左飛に飛び出して併殺。窮地を切り抜けた安堵(あんど)感で緩んだのか、山崎武司に四球を与え、中村武志に101球目の直球が真ん中へ入り、中堅右へ同点弾を浴びた。9回も続投して110球で降板。敗戦後のベンチから真っ先に出て、唯一の失投について「高かったですね…」のひと言だけを残した。

 10回から送り出した古溝克之が2回零封。12回から登板の郭李が3イニング目に力尽きた。エースに加え、救援陣の左右の切り札も惜しみなく投入。必死の継投策を繰り出した中村は「あの1球は仕方ない」と湯舟をかばった。

 1月17日に起きた阪神・淡路大震災から3カ月弱。オーナーの久万俊二郎からは「地震は地震。野球は野球」と鼓舞され、中村は「優勝しなければならない」ではなく「優勝するんだ」と公言していた。宝塚市の自宅は損壊し、震災直後はホテルに避難。一部建て替えを余儀なくされ、開幕前日の6日も仮住まいから名古屋へ出陣した。食卓に赤飯、尾頭付きのタイ、そして、豚カツを並べ、必勝を期した。

 被災地球団として挑んだ1年を、中村は最後まで戦うことはできなかった。借金19を抱えた7月23日に途中休養した。ただ、開幕戦の延長14回は、いまもセ・リーグ最長タイ記録として残る。思いを込めた激戦だった。=敬称略=

 〇…新外国人のグレンが4回に今中のカーブを捉え、左越えソロで来日1号を飾った。阪神では89年フィルダー、91年オマリーに続く3人目の「新助っ人開幕弾」だった。02年開幕戦で本塁打したアリアスはオリックスからの移籍で来日3年目。来日1年目助っ人の開幕弾は、阪神ではグレンを最後に途絶えたままだ。

 ▽1995年の世相 阪神・淡路大震災発生(1月)、オウム真理教による地下鉄サリン事件(3月)、統一地方選で大阪府・横山ノック、東京都・青島幸男の無党派知事誕生(4月)、オリックスがパ・リーグ優勝(9月)、ドジャース・野茂英雄が米大リーグ新人王(11月)、Windows95日本発売(11月)【流行語】「無党派」「NOMO」「がんばろうKOBE」【漢字】震
  

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