阪神育成1位・小野寺、女手一つで育ててくれた母・由子さんへ恩返しを

[ 2019年12月17日 08:47 ]

虎ルーキーの素顔に迫る 最高峰の舞台にトライ 育成ドラフト1位・小野寺暖外野手(2)

会見で涙ぐむ阪神育成1位の小野寺暖(撮影・中村 与志隆)
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 暖がプロ野球を通して果たしたいミッションがある。中学の時から女手一つで育ててくれた母・由子さん(49)への恩返しだ。

 「特に大変な思いをさせた」と振り返るのは京都翔英で過ごした3年間だった。奈良県生駒市の自宅から京都府宇治市の学校まで、優に1時間を超えた。毎日通学するだけでも大変だが、ハードな練習とも向き合わねばならなかった。午前5時台の始発に間に合うよう家を出て、午後11時に帰宅する生活がほぼ毎日続いた。入学当初は最寄りの駅まで自転車で通っていたが、やがて限界が訪れる。「体がきつすぎて自転車がこげなくなったんです。その日から母に、“駅まで送り迎えしてほしい”とお願いしました」。帰宅直後に玄関で倒れて動けなくなる…という異常事態が起きるほどの環境で戦う息子を見て、由子さんも決断。ここからが本当に過酷な日々のはじまりだった。

 それからというもの、由子さんは毎日朝5時には起床し、7合の白米と、保温性のある弁当箱“ジャー”の3段全てにおかずが詰まった特製弁当をつくってくれた。暖を駅まで送ったあとは家計を支えるために出勤し、夜まで働き、帰宅時間に合わせて駅まで迎えにきてくれた。土曜日は「短い時間でできるように」と引っ越しの梱包作業のアルバイトに従事。20代前半の若者とともに、汗だくになりながら業務をこなした。日曜日も休むことなく、知人が営む料亭に仲居さんとして勤務。文字通り「寝る間も惜しんで」暖を支え続けてくれたのだった。

 「人生の中で一番ハードで精神的にもきつかったですが、本人が一度も“辞めたい”だとか、弱音を吐かなかったので頑張れたんですよ」。母の支えがあったから、大商大を経てドラフト指名を受けるまでに成長できたことは言うまでもない。

 「当時は自分のことで精いっぱいで何も思っていませんでしたが、母は、想像もできないほどしんどかったと思います。僕の野球についてきてくれてだいぶん疲れていると思う。“田舎に住んで農業をしながらゆっくり過ごしたい”と言っているので、活躍して、田舎に家を建ててあげたいと思ってます」

 ドラフト会議で流した涙は「指名されないかと思っていたのでホッとして思わず出てしまった」と振り返る。そこには「恩返しできる舞台に立てた」という喜びも含まれていただろう。まずは支配下登録。そして、その先へ。唯一無二のモチベーションを力に、プロ野球で成り上がる。(巻木 周平)

 ◆小野寺 暖(おのでら・だん)1998年(平10)3月17日生まれ、奈良県出身の21歳。左京小2年から奈良リトルで野球を始める。平城東中では南都ボーイズに所属。京都翔英では甲子園出場なし。大商大では2年秋からリーグ戦に出場し3年春MVP、4年春は首位打者とMVP。1メートル83、82キロ。右投げ右打ち。

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