阪神・原口 大腸がん「ステージ3b」だったことを公表した理由とは…

[ 2019年11月25日 05:30 ]

阪神・原口
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 阪神・原口文仁捕手(27)が24日、西宮市の球団事務所で自らの意思で報道陣に対応し、患っていた大腸がんが「ステージ3b」だったことを明かした。大病から復活した姿を届けて闘病する人たちを勇気付けるために公表。同時に11年目の来季へ強い決意も示した。

 【原口に聞く】
 ――自ら切り出し。
 「今シーズンの振り返りと病気の詳細について話したいと思います。全然深刻ではないので、ポップに聞いてくださいね。皆さんを通じて、全国の人たちの力に少しでもなれるように…と思って、この場を借りて、発表、発信していきたいなと思っています」

 ――がんが判明した1月を振り返って。
 「病気を宣告されたのが人間ドックを個人で受けた1月8日で、すぐに先生にに、隣の部屋に呼ばれて癌だとということを宣告されました。その時はすごく驚いて頭が真っ白になりました。そこから、自分の気持ち的には例年と変わりなく、野球の自主トレをして、キャンプに行くぐらいのつもりで練習をしていたので、少し落ち込む時期はありましたけど、前向きになって練習を再開したという感じでした」

 ――ステージ3bと判明した経緯は。
 「見つかった時は先生から「早期発見ではないか」という話がありましたが、術後、病理検査でステージ3bだと分かりました。そこまで進んでいるとは誰も思っていなかったので驚きでしたね。抗がん剤治療もスタートしないといけないという話になりました。先生方の配慮で野球をやりながらでも治療ができるようにと、錠剤の抗がん剤を、退院した2月6日からスタートしました。そこから7月9日までですかね。その日がちょうどプラスワンのオールスターの発表日と重なったのでダブルで嬉しかったことを覚えています。治療の一区切りでしたから。その時は言えませんでしたが、そういう(嬉しい)気持ちがありましたね」

 ――抗がん剤治療の詳細は。
 「4週間飲んで2週間休むというサイクルを4回続けました。体調が優れない日もありながら、首脳陣やトレーナーさんに練習内容などを配慮いただいて、試合で万全なプレーができるような環境を作っていただいたので、感謝しかありません。たくさんのサポートのおかげで1年間、一軍で戦い抜けたというのは、すごくありがたかったですね」

 ――副作用は。
 「気持ち悪くなったり、吐き気がしたりという症状は意外と出なくて、先生からは“人によるからどうなるかわからない”と言われていましたが、僕の場合はそこまではっきりとは出なかった。でもやっぱり、食べる方のアレルギーは今までなかったけどそれが出てきたり、体質の変化はありましたね。そんな中でも先生が背中を押してくれて。“体調に問題がなければ好きな野球はどれだけやっても問題ないよ”と言っていただきました。薬は飲んでいましたけど、1軍で活躍できる状態までもっていけば問題ないと思っていました」

 ――再発の可能性は。
 「5年の経過を観察して『完治』と言えると言われたので、5年間は自分の体調を見ながら、定期検査を行いながらやっていかないといけません。そういった部分でも球団にサポートしてもらっている。いい環境の中でやらせてもらっています」

 ――抗がん剤以外の治療はあった?
 「手術をしたので、体の手入れやケアの時間はすごくかかりましたが、治療は特に。病院にいくつか通いながら先生方にサポートしていただきました。それがなかったらあれだけ早く復帰できることはあり得なかった」

 ――なぜこのタイミングで公表した?
 「シーズン中から“いつがいいのかな?”とすごく考えていました。そんな中で先日、チャリティー施設(チャイルド・ケモ・ハウス、神戸市)を訪問した時に、子供たちの頑張っている姿に勇気づけられて。そういうところを見たことも大きかったし、院長先生から背中を押してもらえるような言葉をかけていただいたので、球団の方に相談させていただいて、今日に至りました。発表するのは良くないんじゃないか…という意見もありましたが、やっぱり、一番最初に発表したときは詳細を話していなかったので、そんな状況(ステージ3b)からでもここまでやれる…、ということが、病気と戦っている人には伝わらない。詳細を発表することによって、治療しながらでも仕事に復帰できる…、スポーツをやれる…。そういうことを伝えられたらという思いで、発表するに至りました」

 ――転移は。
 「なかったです。経過良好で今に至ります」

 ――病気を通じて学んだことは。
 「命にはすごく限りがあるんだなと思いました。遅かれ早かれ、いつかはくるものですけど、それがいざ、この年齢で間近にそういうものを感じると、人生満足だったかな?とか、まだまだ何かできたんじゃないか?とか、そういうことをすごく思ったので。もっと大切に時間を使わないとな…と思ったりもしましたね」

 ――今後は。
 「半年に一回、大きな検査を5年間続けていきます」

 ――家族の支えは。
 「子供が生まれたばかりだったので、家に帰る時間はすごく大切な時間で、オンオフの切り替えができました。心はリラックスできて、またリセットして頑張ろうというきっかけを作ってもらいましたね」

 ――来年について。
 「もちろん自分の中ではレギュラーをとって、たくさん活躍して、チームの中心で成績を残して、背中で引っ張っていけるようになりたいと思ってやっているので、そこを目標にしてます。頑張ることで、今日こうやって発表した意味もすごくあると思いますし、また多くの人に頑張っているところを届けられたらと思います。僕は野球選手としてがんばりますけど、違う方向で勇気付けられたらすごく大きな意味もあると思いますし、それが頑張っていく一つの理由なので。そういう意味でも、野球で結果を残さないと…という責任は感じてます」

 ――今シーズンを振り返って。
 「節目で結果が出たというのはすごく良かった。そういうところで打ちたいと思ってもなかなか打てないと思うので。そこで結果が出るということはたくさんの方の想いのおかげじゃないかと思いますので、感謝の気持ちでいっぱいですね」

 ――悔しさもあったか。
 「試合に出られないことは悔しいですし、チームが負けたというのも悔しいです。ただ、こういうものを、悔しさを味わえるということもありがたいことなので、来年だけじゃなく、これからずっと、そういう思いでやっていきたいです」

 ――野球への向き合い方の変化は?
 「これまで、野球で悩むことはすごく辛いことで、結果が出ないことは辛いことと思っていましたが、考え方一つで幸せとも受け取れるし、なんてありがたいことなんだ…と捉えられる。そういった部分ではすごく、自分の悩みが小さく感じたりというのがありましたね。もっとやればいいじゃん…と。時間はたくさんあるしやれることをやろうと。自分のできることをやろうと。野球がなかったらどうなっていたかわからないですし、野球がすごくいろんなことを忘れさせてくれる時間でもありました。なかなか熱中するものって見つけられないと思いますけど、何かが見つかった時は人生が変わるタイミングだと思うので、一人でも多くの人に、そういうものを見つけてもらえたらな…と思います」

 ――来年のチームのスローガンについて。
 「監督の目指している野球そのままだなと。すごいなと思いましたね。あんなところに「笑」が入るとは思わない。監督がやろうとしているチームのスタイルだなと思いましたね。今までにないですよね。すごいですよね」

 ――2月のキャンプには参加できる?
 「もちろんです」

 ――最後に。
 「今日の発表というのは、暗いイメージじゃなくて、明るい材料として使ってほしいというのがあります。「撃」とかじゃなくて(笑い)。明るい材料で使ってほしい。これだけの病気をしても現場に復帰してやれるんだよ…というところを伝えていただければ。今戦っている人たちは「僕もやれるんじゃないかな」と思ってもらえるかもしれないし、それが、発表した意味でもあると思うので」

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