松井稼頭央氏がPL学園時代「少しでも近づきたい」と思った“立浪二世”が野球をやめた訳

[ 2019年8月25日 20:32 ]

PL学園で“立浪二世”と呼ばれた阿知波重尚さん
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 元プロ野球選手で現・西武ライオンズ2軍監督の松井稼頭央氏(43)が25日放送のTBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」(日曜後6・30)に出演。PL学園野球部時代に絶対に勝てなかった同い年のライバルについて語った。その選手は、同じ年で1年夏から遊撃手のレギュラーとして試合に出場。“立浪二世”とも評された阿知波重尚さん(44)だ。

 プロ入り後、現役時代には史上10人しかいないトリプルスリーを達成した松井氏も1年からベンチ入りはしていたが、背番号は11だった。松井氏は「センスのある同級生。入る前から噂になっていた。身のこなし、流れるプレーは華麗。少しでも近づきたいなと思った」と語り、桑田真澄、清原和博のKKコンビを育てた名将・中村順司氏も「3拍子揃った好選手。桑田、清原と同じく1年生から期待していた選手」「1年生の清原に背番号3を与えた心境と同じだった」と語るほどだった。1歳上の、後に阪神から1位指名されプロ入りした今岡誠氏(44)を遊撃から二塁にコンバートさせたほど。翌年のセンバツでは松井氏とともに、甲子園に出場、ベスト8に進出した。

 だが、阿知波さんは青学大に進学も1年で退学。野球の世界から姿を消した。1年から試合にも出場していたが、その冬に手首を骨折してしまう。野球から離れた1カ月。同級生に「プロに行けなかったらどうするの?」と聞かれた時「野球しかやっていなくて大丈夫なのか?」と思ってしまったという。野球に対する気持ちが薄れてきてしまい、野球に100%で向き合えない、そんな気持ちでやるのは失礼じゃないかな、と思い退部を申し出たという。

 この番組で、20年ぶりに松井氏と再会した阿知波さんは「野球をやめようと思ったことは1度もないの?」と質問。すると松井氏は「アメリカ時代が一番しんどかった。(極度のスランプの時には)ブーイングがすごくて、家族も球場に呼べなかった」と話しながらも「本当に野球が好きだった。できない方が辛い」との答えに「改めて、すごい意志だなあ」と感心。その思いが日米で24年に渡る野球選手としての選手生活を支えていたのだ、と実感した様子だった。

 阿知波さんは現在、地元愛知に戻って新聞販売店の経営者として第2の人生を歩んでいる。

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