啓新 亡き校長と名将の夢 創部7年で結実へ

[ 2019年1月24日 09:15 ]

平成最後の春よ来い 中

ナインに指示を出す啓新・植松監督
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 ゼロから出発して7年。春夏通じて甲子園初出場が懸かる啓新(福井)の植松照智監督(39)は「弱かったチームが、ここまで勝てるとは」と驚きを隠さない。

 2年前のエースだった牧(現阪神)のような絶対的な選手はいない。危機感が選手の結束力を高めた。昨秋の福井大会は公立校に苦戦して3位。北信越大会は安積、浦松の継投を軸に接戦を勝ち抜き、決勝では優勝候補の星稜(石川)に延長15回引き分け再試合を演じた末に準優勝した。

 女子校から98年に共学化。先代校長で大の阪神ファンだった荻原芳昭氏は野球部創部の夢を抱きつつ、09年夏に75歳で亡くなった。息子で現校長の昭人氏が遺志を継ぎ、東海大甲府(山梨)で春夏11度の甲子園出場を誇る大八木治氏を監督に招へい。開校50周年の12年4月に創部した。「中途半端に支援しても意味がない」という校長の方針で12年9月に室内練習場、3学年がそろう14年には学校近くに寮と福井市に隣接する坂井市に天然芝の専用球場が完成。大八木氏の人脈を中心に集まった部員41人の約7割は県外出身だが、恵まれた練習環境に魅力を感じ、福井県内からの進学も増えてきた。

 大八木氏の相洋(神奈川)時代の教え子にあたる植松監督は、サラリーマンから転身。13年4月から部長として経験を積み、健康上の理由で勇退した恩師の後任として18年4月から指揮を執る。モットーは「あたりまえを全力で」――。先代の校長や監督ら関係者全員が、悲願成就に全力で向き合ってきた熱意が、もうすぐ実を結ぼうとしている。 (石丸 泰士)

 ▽啓新 1962年(昭37)4月に福井女子高校として開校。98年4月に男女共学となり現校名に改称。普通科、情報商業科、調理科などを置く。所在地は福井市文京4の15の1。

 ≪初の北海道3校も≫一般枠で啓新とともに春夏を通じて初の甲子園出場を確実にしているのが札幌大谷(北海道)だ。昨秋の明治神宮大会で優勝。星稜との決勝では西原が1安打1失点完投勝利を収めた。創部10年目の新鋭が北海道に「神宮枠」を運び、北海道大会準優勝の札幌第一も選出濃厚に。さらに21世紀枠で釧路湖陵が選ばれれば、大会初の北海道3校となるがどうか。

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