平松氏 殿堂入りは「夢の中の夢」一報に思わず涙

[ 2017年1月17日 05:30 ]

星野氏、平松氏、伊東氏 野球殿堂入り

受賞あいさつで、夢のようだと頬をつねる平松政次氏
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 スピーチに立った平松氏は紅潮した右頬をつねった。「この場に立って、夢ではないかと。(頬をつねり)痛いですね。夢の中の夢。最高の名誉」と感激に浸った。候補者となって9年目の殿堂入りを知らせる電話を受けると、思わず涙があふれたという。

 代名詞の「カミソリシュート」を武器に、Bクラスが多かった大洋(現DeNA)で通算201勝のうち巨人キラーとして51勝を挙げた。

 シュートの切れは抜群で、巨人・長嶋茂雄(現終身名誉監督)が、投球フォームに合わせてバットを瞬時に短く持ち替えたという逸話がある。「(引退後に)長嶋さんに聞いたら“巨人の4番・長嶋が短く持ったらいかん。長く持てば詰まる。瞬間的に持てばお客さんも分からん”って。私には分かった」と、通算打率も・193に抑えた。

 「打倒・巨人」の精神は同郷の1つ先輩・星野氏と重なる。岡山東商2年時の64年夏の岡山大会準決勝では星野仙一擁する倉敷商に2―11で敗れた。救援登板の平松氏も打ち込まれ「星野さんの鬼の形相が忘れられない。あの試合で負けず嫌いっていうのを教えられた」。悔しさをバネに翌年センバツで優勝。星野氏との同時受賞に喜びもひとしおで「因縁があるんでしょうね」と話した。

 引退後は長年にわたり野球中継の解説を務めてきた。「80年代は地上波で視聴率20%を超えた。球場のファンは増えているので、もう一度地上波でプロ野球を見てほしい」と思いを語った。(渡辺 剛太)

 ◆平松 政次(ひらまつ・まさじ)1947年(昭22)9月19日、岡山県高梁市生まれの69歳。岡山東商で65年センバツ優勝。日本石油を経て、66年第2次ドラフト2位で大洋に入団。エースとして12年連続2桁勝利を挙げ、70、71年最多勝、79年最優秀防御率、70年沢村賞を受賞。83年に球団初の通算200勝を達成し、84年に引退した。打っては通算25本塁打。右投げ右打ち。

 ▼土井淳氏(高校の先輩で大洋時代の同僚、監督)おめでとうございます。現役の晩年に平松君が入り、監督に「平松のときは捕手をやれ」と命令された。おかげで2年ほど寿命が延びた。私の恩人です。シュートは物凄く速くて切れが良かった。

 ▽野球殿堂 日本野球の発展に大きく貢献した人たちの功績を称え、顕彰することを目的に1959年に創設された。プロ球界で功績のあった競技者表彰(プレーヤー表彰と、指導者も対象となるエキスパート表彰)と、審判員やアマを含め球界に貢献のあった人が対象となる特別表彰がある。選出はいずれも投票で75%以上の得票が必要。今回で競技者表彰92人、特別表彰は105人となった。なお、プレーヤー表彰の対象者は引退後5年以上経過した選手で、来年は元巨人・松井秀喜氏、阪神・金本知憲監督らが候補となる。

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