郷司裕氏 松山商VS三沢、決勝引き分け再試合で球審

[ 2017年1月17日 05:30 ]

野球殿堂入り

1969年8月19日、全国高校野球選手権大会で決勝再試合となった松山商・三沢戦の球審を務めた郷司裕氏(左)
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 故郷司裕氏は高校野球から社会人野球まで、アマ野球の多くの試合で審判員を務めた功績が認められ、特別表彰での殿堂入りとなった。甲子園大会では1964年から83年まで審判を務め、65年春から76年春まで連続で決勝を裁いた。

 引き分け再試合の熱戦となった69年夏の松山商(愛媛)と三沢(青森)の対戦では2日間とも球審を務めた。0―0の延長15回裏、三沢の攻撃では、1死満塁の3ボール1ストライクから、きわどい低めの球をストライクと判定。押し出しなら東北勢初の優勝となっていた場面で、高校野球の名シーンの一つとして語り継がれている。

 次男の信之氏(51)は「父も天国で非常に喜び、感謝していると思う」と話し、妻の陽子さん(78)は「(審判員として)家には年間の3分の1もいなかったが、聞いた瞬間、涙が止まらず、夜も眠れなかった」と感慨深げだった。

 ◆郷司 裕(ごうし・ひろし)1932年(昭7)1月19日生まれ、北海道出身。明治高、明大卒。東京六大学野球をはじめ、春夏の甲子園、都市対抗など高校、大学、社会人の審判員を長く務める。東京六大学野球連盟規則委員、同審判技術顧問、日本野球連盟規則・審判専門委員会委員、日本野球規則委員会編纂(へんさん)委員を歴任。06年12月12日死去、享年74。

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