“代打の神様”関本 今季限り引退 猛虎一筋19年

[ 2015年9月29日 06:45 ]

<神・巨>藤浪(左)と笑顔で勝利を喜ぶ関本

 さらば、セキ! 阪神・関本賢太郎内野手(37)が今季限りで現役引退することが28日、分かった。この日までに球団幹部に、意思を伝えたと見られる。阪神一筋19年で、晩年は“代打の神様”として活躍。虎党から愛された男が、静かにバットを置く。

 虎党に愛された男が、甲子園に別れを告げる。“代打の神様”として無類の勝負強さを見せている関本が、今季限りで現役引退することが分かった。すでに球団幹部に意思を伝えたと見られ、近日中に、球団から正式発表される見込みだ。

 今季は、ケガに泣かされたシーズンでもあった。6月2日には左脇腹を痛め出場選手登録を抹消。7月10日の巨人戦で1軍復帰を果たしたが、それから間もない8月6日の広島戦での試合前練習で今度は右背筋を痛めてしまった。10年ぶり優勝に対する強い気持ちとは裏腹に、容赦なく悲鳴をあげ続ける身体。シーズン2度目のリハビリ生活を強いられた時期から、引退の2文字がちらつくようになっていった。

 9月8日に1軍復帰すると、そこから10打数6安打3打点と活躍。9回に同点打を放った23日の巨人戦に続き、前日27日の広島戦でも大瀬良から反撃の適時打を放ったばかりだった。試合終盤の出番が大半で好投手との対決ばかりの中、打率は・250、出塁率は・404をマーク。勝負強さだけでなく、持ち前の選球眼、守備固めに起用されるほどの堅実な守備もまだまだ健在だった。

 ただ、ベテランと呼ばれるようになってからは、1年間1軍の戦力としてプレーすることを己に課してきた。手元にある数字は関係ない。それが引き際の美学だった。

 長く険しいプロ野球人生を支えたのは、座右の銘である「不撓不屈(ふとうふくつ)」の精神だった。もっとも言葉の意味をかみしめたのは、右肩手術からの過酷なリハビリ期間。治療のため病院を渡り歩いたが、慢性的な痛みが治まることはなく、意を決して、01年5月に右肩関節唇損傷の縫合手術を受けた。当時の野球界での復帰例はダイエー(当時)の斉藤和巳投手ぐらいしかなく、チーム内でも初めて行われる手術だった。不安なく送球できるまでに費やした期間は実に2年。地獄を見たからこそ、目の前の一瞬、一瞬を大切に過ごしてきた。

 大型内野手として期待され1996年のドラフト2位指名で天理高から阪神へ入団。プロ入りしてすぐにレベルの違いを痛感し、アマチュア時代は無縁だったバントの技術をひたすら磨いた。やがてバントの名手となり、08年6月17日の楽天戦では1試合4連続犠打というプロ野球タイ記録をマーク。05年5月から07年8月にかけては、二塁手連続守備機会無失策804というセ・リーグ記録を打ち立てるなど、究極のユーティリティープレーヤーとして、チームの勝利に貢献してきた。

 この日はゴメスに代わり9回から一塁の守備につき、阿部の打球を軽快にさばいた。選手会長を歴任するなど、阪神一筋19年。引退は決意したが、生きざまを貫き、最後の最後まで全力を尽くす。

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