バレンティン2発虎狩り!セ最速10勝ヤ!

[ 2011年5月2日 06:00 ]

<神・ヤ> 7回1死一塁、バレンティンは右越え2ランを放つ

セ・リーグ ヤクルト6-2阪神

(5月1日 甲子園)
 耐えて待ったご褒美だった。甲子園の浜風がピタリとやむ。絶好の条件と絶好球をヤクルト・バレンティンは逃さない。無風を計算して右方向を狙った打球は勢いよく伸びた。

 「自信を持って質のある打席を心がけた。遠くへ飛ばせる球が来て打ち損じずに打てたよ」

 2回と7回。いずれもやや外寄りの直球が高めに来た。1点差へ詰め寄る2回の7号ソロは右中間へ、そして試合を決定づける7回の8号2ランは右翼席へ。度重なる投手陣のアクシデントとともに、チームを3連敗の危機から救う2発は価値がある。でも、単独キングにも躍り出た助っ人に派手な喜びはない。いつも通り物静かに「我慢の意識がある」と好調の要因を自己分析した。

 我慢したのは、かつての同僚・城島のボール攻めだ。この3連戦だけで4四球。マリナーズ時代に一緒にプレーした経験を踏まえて執拗(しつよう)に誘い球を配してきた。「確かにボール球を振らないのは難しい。でも、我慢し続ければいい成果につながるんだ」。決して自分の打撃を崩さず、ひたすら好球を待つ。その姿勢を見て、小川監督は前日まで2試合で4打数無安打の助っ人を6番から来日初の5番に昇格。打順組み替えもズバリ的中だった。

 今春の沖縄・浦添キャンプ。フリー打撃で打球がケージから外に飛ばなかった。それでも小川監督は「ホージーもこうだった。慣れれば大丈夫だと信じるよ」。取り組む姿勢と順応性を信じ、97年に来日1年目で本塁打王に輝いたホージーの姿に重ね合わせた。指揮官の信頼に我慢で応えてチームはリーグ10勝一番乗りで単独首位。ヒーローインタビューを「ありがとうございます」と日本語で締めたバレンティンは言った。「城島と楽しんでできたよ」――。

 ≪一発打てば6戦無敗≫バレンティン(ヤ)が4月27日の巨人戦に次ぐ自身2度目のマルチ本塁打。中村(西)、畠山(ヤ)、スレッジ(横)の各6本塁打を抜く両リーグ単独トップの8本塁打になった。一発を放った6試合の勝敗を見ると△○△○○○と6戦無敗。同じく5戦無敗の畠山とともに勝利に結びつく一発を放っている。また、バレンティンはチーム全17試合に出場。ヤクルトで出場17試合目までに8本塁打の量産は、87年ホーナーが同じく17試合目に8号を放って以来24年ぶりだ。

 ◇ウラディーミル・バレンティン◇

 ☆生まれ、サイズ 1984年7月2日、オランダ領アンティル生まれの26歳。1メートル85、100キロ。右投げ右打ち。

 ☆球歴 16歳の00年にマリナーズと契約。04年アテネ五輪にオランダ代表で出場。07年にマ軍でメジャーデビューを果たし、09年までイチローと同僚としてプレー。メジャー通算170試合で打率.221、15本塁打、52打点。昨季はレッズ傘下3Aルイビルに所属した。

 ☆人柄 趣味は携帯ゲームで、来日当初はゲ ームを通じて他の選手と交流。また、入団直後は緊張のあまり無口だったが、現在では青木の袖を引っ張るなどいたずらを繰り返し、前評判通りのやんちゃぶりを見せる。

 ☆愛称 幼い頃から家族に呼ばれていた「ココ」。由来は不明。

 ▼ヤクルト・畠山(7回に貴重な中前適時打)福地さんが(盗塁で)二塁へ行ってくれて、無駄な力が抜けてセンター返しを心がけられた。

 ▼ヤクルト・宮本(5回に決勝の中前打)とにかく走者を還すことができてよかった。

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