沖縄の悲願へ!春夏連覇へ!島袋「意地」の王手

[ 2010年8月21日 06:00 ]

決勝進出を決めた興南・島袋(左)は捕手・山川と笑顔でタッチ

 【準決勝 興南6-5報徳学園】 こん身の直球で押した。1点リードした9回2死三塁。興南・島袋は4番・越井を迎え、初球、2球目に連続でこの日最速の145キロを記録する。最後の159球目は144キロの直球で空振り三振。春夏連覇の偉業へ、あと1勝までたどり着いた。

 「意地で投げた」。今大会は猛暑の中、5試合をほぼ一人で投げ抜き、体重は3キロ減った。疲労で変化球は抜け、初回から失点し、2回は中島に満塁の走者一掃三塁打を浴びるなど4失点。現チームで5失点は練習試合を含めても初めて。だが「負ける気はしなかった。狙われても自信のある球でいこうと思った」と開き直った。3回以降は無失点。8回の3者連続を含む12三振を奪った。
 5回コールドで発進した沖縄大会1回戦。試合後、控え部員が用具などを駐車場まで運び、炎天下を約4キロ離れた学校まで走って帰る中、主力は冷房の効いた車内で涼んでいた。これを見た我喜屋監督は激怒し、学校までの罰走を命じた。島袋はその時、報道陣の取材を受け、片づけを手伝える状況にはなかったが、すぐに走って仲間を追った。センバツ優勝投手として脚光を浴びるが、おごりや慢心はない。この試合も打線が必死になって逆転してくれただけに、これ以上失点するわけにはいかなかった。気迫に満ちた9回の投球に、我如古は「洋奨(島袋)のスイッチが入ったのが見えた」と舌を巻いた。
 主将として68年に4強に進出した我喜屋監督を超え、沖縄悲願の夏初制覇へ王手をかけた。「監督を抜けて本当にうれしい。あすも頭からいきたい」と連投を志願した島袋は宿舎に戻り、第2試合をテレビ観戦。一二三については「凄い投手ですし、先に点をやりたくない。ここまで来たら気持ち」と言葉に力を込めた。高校生活の集大成を懸けた一戦。炎のトルネードの先に、深紅の大旗が待っている。

 ≪島袋、歴代2位の126K≫島袋は12奪三振で甲子園奪三振数を通算126個とした。74年の金属バット導入後では、トップは150奪三振の桑田(PL学園)。それに次ぐ歴代2位の数字だ。また2ケタ奪三振は7試合。駒大苫小牧・田中(楽天)、早実・斎藤(早大)の6試合を抜いて同じく金属バット導入後ではトップの数字となった。

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2010年8月21日のニュース