内川 Vトロフィーに村田のユニホーム

[ 2009年3月25日 06:00 ]

Vトロフィーに村田のユニホームをかぶせて掲げる内川

 【WBC決勝・日本5-3韓国】その表情はどこまでも誇らしげだった。「たまらんっス。決勝戦でこれだけ働けると思ってなかった」。内川のその手に固く握られていたのは背番号25のユニホーム。横浜の先輩で、無念の負傷で帰国した村田の“戦闘服”を優勝トロフィーにかけ「村田さんは最後までいたかったはず。メンバーとして村田さんもいたんだと日本の人に見てもらいたかった」と話した。

 村田の分まで戦った。3安打。延長に持ち込まれた直後も先頭で打席に立つと「暗くなりがちなムードをオレが変えてやろう」と林昌勇の内角球を詰まらせた打球で右前に落とした。この一撃はイチローから学んだたまものだった。2月の宮崎合宿中。内川「内角の球を詰まらせて打つって本当ですか?」、イチロー「本当だよ。クリーンヒットより、そっちの方が投手にダメージを与える」。まさに韓国の守護神に精神的痛手を与え「当たりはグシャグシャだったけど、結果的にいいヒット」と“してやったり”の表情を浮かべた。

 守備でも魅せた。岩隈が同点弾を浴びた直後。高永民の左翼線に落ちる打球をワンバウンドでスライディングキャッチし、素早い送球で二塁で刺した。抜けていれば三塁打の可能性もあったギャンブルプレー。横浜では主に一塁を守る男は「僕自身が一番ビックリ。岩隈さんを救えてうれしい」と笑った。

 “左キラー”として連覇に貢献した男は最後に言った。「次のWBCでは右、左関係なく“内川はレギュラー”という選手でいたい」。まだ26歳。4年後は3連覇に絶対欠かせない男となる。

 ≪村田 五輪の悔しさ払しょく…「誇り」≫連覇の瞬間を、村田はチームのオープン戦が行われていた横浜スタジアム内の会議室のテレビの前で迎えた。イチローの決勝打が飛び出した場面では「あそこで打つのがイチローさん。さすが“世界のイチロー”だなと思いました」。そして背番号25のユニホームをトロフィーにかけた内川の粋な計らいには「(その場面は)見ていなかったけどうれしい」と声を詰まらせた。
 19日の韓国戦で右大腿二頭筋を損傷し、志半ばで日本に帰国した村田。それでもWBCでは4番にも座り、打率・320、2本塁打、7打点と貢献した。それだけに「このチームでやれたことに誇りを持っている。北京五輪(2安打、打率・087)の悔しさもあったが、原監督の期待にも応え、日本国民にアピールすることはできた。横浜だけでなく、他のチームのファンからも“お帰りなさい”と言ってもらえるような選手になりたい」と4年後を見据えた。

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2009年3月25日のニュース