阿久悠さん母校どうにもとまらん快進撃!

[ 2008年7月20日 06:00 ]

<小野・洲本>4回1死満塁、小林の左前打で三塁から橋本(左)が生還し9点目

 【洲本13―1小野】第90回全国高校野球選手権大会(8月2日から17日間、甲子園)の地方大会は19日、45大会で246試合を行った。西兵庫大会準々決勝では洲本が小野を相手に4戦連続コールド勝ちで4強入りを決めた。1953年(昭28)センバツで甲子園初出場初優勝を飾った同校も、その後2度の甲子園は初戦敗退。同校OBで昨年8月に亡くなった作詞家・阿久悠さん(享年70)が作った応援歌とともに目指す、33年ぶりの夏切符まであと2勝だ。

 天国の阿久さんも力が入っているに違いない。この勢いは本物だ。洲本が初戦から4試合連続のコールド勝ちで3年ぶりの4強進出を決めた。
 「つなぎの野球ができた。昨夏を経験したメンバーがたくさんいて、攻撃力のあるチームです」
 のべ4校、32年間高校野球を指導している神田監督をして「攻撃力は一番」と言わしめるほど、今年の洲本は破壊力抜群だ。長打はないがきっちりつないで得点を重ねる。この試合も小野の3投手から計13安打で13点。バントは初回の1度だけ。盗塁もなく、ひたすら打って打って打ちまくった。チームは5日の初戦、西脇戦こそ9安打だったが、その後は22、10、13安打。1試合平均13・5安打で同13得点とことごとく相手投手陣を粉砕した。
 そんなナインを後押しするのが同校OBで、昨年8月に亡くなった作詞家・阿久悠さんの歌だ。18日の激励会でも阿久さんが卒業後、母校へ贈った第2応援歌「未知に真っ赤な帆をはって」を聴いてナインは奮い立った。神田諒主将は「甲子園に出て、OBの阿久悠さんに良い報告がしたい。第2応援歌を甲子園で聴きたいし、歌いたい」と目を輝かせる。
 淡路島にある同校の練習環境は決して恵まれていない。グラウンドはサッカー部や陸上部などと共有。藤井校長が「淡路島全体で生徒が減ってきています」と話すように、島から強豪私学へ渡る生徒も少なくない。その中での快進撃。同校長は「監督、OB、選手みんなの力」と胸を張った。
 「島のみなさんの応援は心強いですし、力になります。チーム力も上がってきました。神田監督を胴上げしたい」と神田諒主将。今夏を最後に勇退する意向を固めている指揮官は78年、83年と決勝で涙をのんでいる。「ツキがないんですかねえ。今回が3度目の正直ですわ。是非、第2応援歌を甲子園で歌いたい」。33年ぶりの夏切符まであと2勝。ナインは天国の阿久さんに吉報と歌を届けるつもりだ。

 ◆阿久 悠(あく・ゆう)1937年(昭12)2月7日、兵庫県津名郡鮎原村(現・洲本市五色町鮎原)生まれ。洲本―明大文学部卒、同大学院修士課程修了。広告代理店「宣弘社」で番組企画、CM制作などに携わった後、フリーに。ペンネームは「悪友」から。67年、初めてレコードA面のザ・モップス「朝まで待てない」を作詞して以来ヒットメーカーに。熱烈な高校野球ファンで、センバツ大会歌「今ありて」を作詞したほか、本紙で1979年から06年まで夏の甲子園を舞台にした「甲子園の詩」を連載した。小説「瀬戸内少年野球団」は映画化もされた。07年8月1日に尿管がんのため死去。

 ◇兵庫県立洲本高等学校 1897年創立の淡路島で最も古い高校。校訓は「至誠、勤勉、自治、親和」。自由な校風で、文武両道をモットーとしており、野球部以外に、ボート部なども盛ん。主なOBは大内兵衛(元法大総長)、原健三郎(作家、元衆議院議長)、宮地真緒(女優、歌手)など。洲本市上物部2の8の5。

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2008年7月20日のニュース