高橋藍が卒業文集に記した夢「ニッポンチャチャチャ」 原点は小さな公園だった

[ 2021年8月4日 05:45 ]

高橋藍が書いた小学校の卒業文集(家族提供)
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 19歳の新星は夢だったコートに立ち、世界を相手に戦った。バレーボール男子日本代表の高橋藍(日体大)。東京五輪では、全6試合で計53得点を挙げ、得意とする守備でもレセプションでチームを助けた。準々決勝で16年リオ五輪金メダルのブラジルに敗れたが、大会を通じて今後のバレー界を担う実力を示した。

 東京五輪の開催が決定した2013年、高橋は小学6年生だった。卒業文集には、こう記した。「ニッポンチャチャチャ。ニッポンチャチャチャ。目を開けると、東京オリンピック、バレーボールの会場にいる」。まさに、有言実行。「五輪の選手になるとずっと言い続けていた」と高橋。あれから8年、競技が行われた有明アリーナのコートで躍動した。

 高橋にとって原点と言える練習場所がある。京都市の太秦乾公園だ。兄・塁(21=日大)を追いかけるように、小学2年から競技をスタート。以降、兄に連れられ、公園へ。鉄棒をネット代わりに、自分たちで線を引いたコートが“専用練習場”だった。ひたすら日が暮れるまで練習。2人で園内を駆け回り、夢中のあまり何度もボールがなくなった。塁が「俺らが育った公園」と表現するように、高橋のバレー人生は小さなコートから始まった。

 京都・東山高3年だった昨年、春高バレーで優勝。その後、日体大へ進学し、日本代表に初選出された。順調に見えるが、悩む日々もあった。代表活動に合流当初は、速いテンポに「ついていくのがきつい」と漏らすことも。さらに、新型コロナウイルスの影響で練習が満足にできない日々も続いた。それでも、努力で不安を打ち消した。体作りのため、ウエイトトレーニングに励み、食事は一日4食。この1年で体重は10キロも増加した。先輩からは技術を吸収し、「自信がついた」。中垣内祐一監督(53)からは「速さになれたことで余裕が出てきた。大きく成長してくれている」と評価された。

 今年5月、中国との五輪テスト大会で国際試合デビューを果たした。いきなり16得点を挙げる活躍。6月にはイタリアで行われたネーションズリーグにも出場。着実に経験を積み、晴れて五輪代表12人に選出された。

 そして、五輪開会式翌日の7月24日、ベネズエラ戦。夢舞台に立った。全6試合出場を「強敵ブラジルと決勝トーナメントで戦えたことは自信につなげたい」と振り返った。コロナ下の会場は無観客だった。「ニッポンチャチャチャ」の声は聞こえなかった。でも、高橋少年が目指した東京五輪は、確かに目の前にあった。(記者コラム・滝本 雄大)

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