レスリング銅・屋比久 沖縄出身初の個人種目メダル 父の夢継ぎ、共に磨いた「前に出るレスリング」結実

[ 2021年8月4日 05:30 ]

東京五輪第12日レスリング男子グレコローマン77キロ級 ( 2021年8月3日    有明体操競技場 )

<東京五輪 レスリング 男子グレコローマンスタイル77キロ級3位決定戦>寄せ書きの記された日の丸を手にポーズを決める屋比久(撮影・北條 貴史)
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 男子グレコローマンスタイル77キロ級の屋比久翔平(26=ALSOK)が3位決定戦でイラン選手にテクニカルフォール勝ちし、銅メダルを獲得した。沖縄県出身初の個人種目メダリストとなり、60キロ級銀の文田健一郎(25=ミキハウス)に続きグレコの複数メダル獲得は84年ロサンゼルス以来37年ぶり。70キロ以上の階級でのメダル獲得は68年メキシコ大会を制した宗村宗二以来、日本勢2人目の快挙となった。

 父・保さんも目指した夢の舞台で、死力を尽くした。雄叫びを上げたマットから下りると、涙があふれた。「日本のトップになってから、世界のメダルは一つも獲れていなかった。うれしい気持ちでいっぱい」。普段は寡黙な男が日の丸を掲げ、感情を爆発させた。

 劣勢で迎えた第2ピリオド、残り約2分。相手の消極的姿勢で与えられた寝技の攻撃から再開すると、リフトから豪快に投げて逆転した。無尽蔵のスタミナで試合終了間際にも4点の投げを決めた。「僕も本当は(文田)健一郎みたいに投げて魅せるレスリングがしたいけど、得意ではない。唯一見せられるのがリフト技だった」。渾身(こんしん)の一撃でグレコの神髄を示した。

 89年世界選手権代表の保さんは負傷の影響で92年バルセロナ五輪出場に一歩及ばず。屋比久は物心ついた時から周囲に「おまえが五輪に行くんだぞ」と諭されて育った。重圧には感じなかった。「僕が塗り替えないといけない」。沖縄県出身者として父以来2人目の全日本覇者となり、ついに県勢初の個人メダリストになった。勝負を決めたリフト技とともに、「前に出るレスリング」も父の教え。「親父が世界に通用するベースをつくってくれた」。セコンドから叫んでいた父の「前に出ろ!前に出ろ!」という声が、この日も頭の中で響いていた。

 昨年8月5日に第1子となる長男の紫琉(しりゅう)君が誕生。「練習で疲れていても息子の顔を見ると元気が出る」と力になった。父に支えられてきた自分が今度は一家の大黒柱となり「親父の姿を見せていかないといけない」と自覚も強まった。

 悲願のメダルは、試合2日後に1歳となる愛息へ最高のプレゼントとなった。「これはまだ紫琉の首には重いかな。持たせる程度にしておきます」。そう笑った背中には、父の頼もしさが宿っていた。

 ○…日本男子グレコローマンスタイル勢は60キロ級の文田の銀に続き、屋比久も銅と、出場2階級でメダル獲得の快挙を果たした。松本・男子グレコ監督は現役時代、五輪でメダルに届かなかった。日体大の教え子2人の活躍に「勝って締めくくることができて、5年間やってきたかいがあった。歩みは間違っていなかった」と涙声になった。開催に感謝し「銀、銅と結果を出してくれた。気持ちも応援してくれる人に伝わったんじゃないか」と語った。

 ◇屋比久 翔平(やびく・しょうへい) ☆生まれとサイズ 1995年(平7)1月4日生まれ、沖縄県名護市出身の26歳。1メートル73。沖縄県初の五輪レスリング代表。

 ☆競技歴 父・保さんの影響で小学4年から本格的に始める。3年まではレスリング道場がなかったため柔道に取り組んでいた。浦添工―日体大。

 ☆スポーツ一家 父は全日本選手権覇者で89年世界選手権代表。妹のすずさんも元レスリング選手。母は陸上のやり投げ選手として五輪出場を目指していた。

 ☆実績 全日本選手権優勝5度。17年世界選手権75キロ級代表、18、19年は77キロ級代表で出場。

 ☆長男誕生 20年8月5日、同郷の加奈子夫人との間に第1子となる長男の紫琉(しりゅう)君が誕生。好きな色の紫と琉球の琉を合わせた。

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