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【コラム】西部謙司

シェペコエンセ

[ 2016年12月10日 19:45 ]

 コパ・スダアメリカーナ決勝の第1戦のためにメデジン(コロンビア)へ向かった航空機が墜落し、シャペコエンセの選手、関係者を含む71人が死亡する事故があった。元Jリーガーも含まれていて、日本でも大きく報道されていた。

 南米サッカー連盟は、対戦相手だったアトレティコ・ナシオナルの申し出もあって、シェペコエンセをコパ・スダアメリカーナ優勝とすることに決定。来年のスルガ銀行チャンピオンシップでは浦和レッズと対戦することになる。

 サッカー界の航空事故として 有名なのは、1949年の「スペルガの悲劇」だ。トリノ郊外のスペルガ聖堂に接触した飛行機が墜落、乗客乗員全員死亡という大事故である。当時、「グランデ・トリノ」と呼ばれて世界最強クラスのトリノは、この事故でエースのバレンティノ・マッツォーラをはじめメンバーのほとんどを失っている。ほぼそのままイタリア代表だったトリノが一瞬にして消滅してしまった。トリノはセリエAの残り4試合をユースチームで戦って優勝を果たす。対戦相手もユースの選手をプレーさせていた。

 1958年にはマンチェスター・ユナイテッドの選手8人が死亡する「ミュンヘンの悲劇」があった。チャンピオンズカップのレッドスター・ベオグラード戦の帰路、ミュンヘン空港で悪天候のために離陸に失敗して大破。ボビー・チャールトンを含む9人は生還したが2人は負傷のために再起不能となった。事故の生存者としては、マツダ(現在のサンフレッチェ広島)で指揮を執ったビル・フォルケスも生存者の1人で、その後もチャールトンらとともにチームを支えた。

 1993年はザンビア代表選手18人を含む乗客乗員30人全員が死亡する事故があった。セネガルとの試合に向かう途中、ザンビア空軍の輸送機が墜落。協会の資金不足のために老朽化した軍用機が使われていた。オランダでプレーしていたエースのカルシャ・ブワルヤらは搭乗しておらず、チームを再編成したザンビアはワールドカップ予選突破まであと一歩まで奮戦したがモロッコに敗れて94年W杯米国大会への出場権を失った。

 サッカーチームを乗せた航空機が大事故に見舞われると、チームそのものが壊滅的な打撃を受けてしまう。トリノはヨーロッパを代表する強豪、マンチェスター・ユナイテッドは「バスビー・ベイブス」と呼ばれて日の出の勢いにあった。ザンビアも主力を失いながら94年のアフリカ・ネーションズカップで準優勝するなど、アフリカの強豪にのし上がった時期だった。今回のシェペコエンセも地方の小クラブから、一躍南米のタイトルを争うまで急上昇した矢先だった。

 ロナウジーニョ、グジョンセン、リケルメといった元スタープレーヤーがシェペコエンセでのプレーを希望しているという。他クラブからの選手の無料貸し出し、降格免除などの救済措置も検討されている。サッカーファミリーの助力を得て、再生の道は残されているようだ。(西部謙司=スポーツライター)

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