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【コラム】西部謙司

言葉よりも言葉になっていない部分
スペイン移籍の難しさ

[ 2017年2月11日 07:00 ]

ランニングするC大阪のMF清武
Photo By スポニチ

 レアル・マドリード、バルセロナと優勝を争っているセビージャは、相変わらず質の高いプレーをしている。攻撃の中心はサミル・ナスリだ。深く引いて味方からボールを預かり、サイドへ開いて起点を作ったかと思えば、そこから中へ入って決定的な仕事をする。もともと才能は認められていたが、マンチェスター・シティーのときはここまでの働きぶりではなかった。

 ナスリの加入で出番を減らしたのが清武弘嗣だ。開幕当初、清武のプレーぶりは好調で、ホルヘ・サンパオリ新監督の特異なスタイルにもフィットしそうにみえた。少なくとも他の選手に見劣りすることはなかった。しかし、まもなくナスリが来ると清武の出場機会はほとんどなくなった。

 ナスリはチームにインスピレーションを与え、不可欠な存在となっている。清武もクリエイティブな選手であり技術もある。しかし、ナスリと清武には決定的な差があったわけだ。

 清武には言葉の問題があった。セビージャはクラブの方針で通訳をつけなかったという。ただ、外国語ということではドイツでも同じだったはずだ。通訳の有無は大きいかもしれないが、フィールドに出れば通訳の助けは借りられない。ブンデスリーガでは清武を含む多くの日本人選手が活躍してきた。一方、スペインではなかなか日本人は活躍できない。その差は何かを考えると、言葉よりも言葉になっていない部分にあるのではないか。

 こういう場合はこうプレーする、その暗黙の了解が理解できていなかったのではないだろうか。日本とドイツより、日本とスペインのほうがギャップが大きく、それを言葉で埋めるのは簡単ではない。しかも、今季のセビージャは監督が代わり、プレースタイルも大きく変化し、さらにサンパオリ監督のサッカーが独特であるために誰も本当には理解できていない状態でスタートしていた。

 ヨーロッパでも今季注目のチームであるセビージャを離れたのは残念だが、清武にとってセレッソ大阪への移籍は正解なのだろう。エイバルの乾貴士のようにサイドの選手であれば求められていることはシンプルだが、中央のポジションでスペイン流にフィットするのはハードルが高いのだと思う。(西部謙司=スポーツライター)

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