山本昌氏 史上2人目の日本人メジャー誕生をあの大物が後押し「マサがメジャーなんて夢がある」

[ 2024年3月4日 16:52 ]

中日監督時代の星野仙一氏(左)と山本昌氏
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 50歳まで現役を続け通算219勝を重ねた元中日・山本昌氏(58)が槙原寛己氏のYouTube「ミスターパーフェクト槙原」に出演。メジャー移籍を後押ししてくれた意外な人物の名前を明かした。

 1988年2月、山本昌氏はドジャースに野球留学する。

 「このままではどうせクビだろう」と中日での野球人生に行き詰まっていたが、マイナーリーグで後に代名詞となるスクリューボールを習得するなど覚せいした。

 山本昌氏は「実はメジャー2球団から(中日に)オファーがあったんです」と明かした。

 本人の知らないところで話は進められていた。

 中日の当時の監督だった星野仙一氏は「行かせろ!マサがメジャーなんて夢があるじゃないか」と、移籍を後押ししたという。

 実現すれば1964年に米国野球留学し、そのシーズンのうちにデビューした日本人メジャーリーガー1号の村上雅則氏と同じ経緯で、2人目のメジャーデビューの可能性もあった。

 星野氏の後押しはあったが、中日は1988年優勝争いの最中に先発投手2人がケガで離脱。球団社長が「良くなっているようだし、戻そう」と主張し、山本昌氏は帰国することになった。

 山本昌氏はその年8月から5勝を挙げ、長い長いプロ野球人生が本格的にスタートする。

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