【内田雅也の追球】あの宣誓球児が被災地へ

[ 2024年1月14日 08:00 ]

選抜大会開会式で選手宣誓をする創志学園・野山慎介主将(2011年3月23日、甲子園球場)
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 野山慎介さん(29)は元日、妻といた岡山市のアパートで揺れを感じた。ネットニュースを見ると能登半島で震度7とあった。「すぐにあの震災が思い浮かびました。これは大変だ。自分に何かできることはないだろうか……」

 東日本大震災があった2011年の選抜高校野球大会開会式で、選手宣誓を行った創志学園(岡山)の主将である。

 宣誓は「私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われています。私たちの心は悲しみでいっぱいです」と語りかけるように話した。「人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです」

 開会式は震災から12日後。部内で相談し慎重に言葉を選んだ。千回練習して本番に臨んだ。

 今、振り返ると「甲子園で宣誓をしていなかったら他人事(ひとごと)で終わっていたかもしれません」と話す。「しかし、宣誓をさせてもらい、被災地に思いを巡らせることで何か力になれないかと考えるようになりました」。全国から「元気、勇気をもらった」「力になった」と感謝の手紙が届いた。

 野山さんは東海大を卒業後、岡山の一般企業に就職。「より地元に密着した仕事に就きたい」と生まれ故郷に近い赤磐市の職員となった。上下水道課に勤務する。

 能登半島地震発生の翌2日、同市職員が石川県に派遣された。野山さんも立候補し、近く被災地に向かうことになった。

 「当時は現場に行くことができず、宣誓や野球しかできなかった。今回は現場で少しでも力になりたい。宣誓の言葉を胸に支え合っていきたい」

 仲間と支え合う姿勢は野球で培った。「失敗や挫折を乗りこえる、勝つために道筋を立てて努力する姿勢などは今も役立っています」。当時創部1年目、新2年生ばかりのチームの主将だった。

 当時監督の長澤宏行さん(70)は「野球“を”教えるではなく、野球“で”教える」という方針だった。今は丹波篠山市スポーツ振興官で篠山産業高監督を務める。報告を受け「すてきな社会人に成長しました。教え子に教えられます」と人間力をたたえた。

 甲子園に響いた「がんばろう! 日本」の声が聞こえた。 (編集委員)

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