川相昌弘氏「みんなが遊びに行くチャンスを待ってた」 バント練習「考えが変わった」出会いとは…

[ 2023年1月20日 16:55 ]

2001年8月、バント練習する巨人・川相昌弘
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 巨人の川相昌弘1軍総合コーチ(58)が19日放送のNHK BS「レジェンドの目撃者」に出演。現在でも破られていない犠打世界記録を持つなど、プロの世界でその名を歴史に刻むきっかけとなった“出会い”について語った。

 通算533本の犠打世界記録を持つなど「バントの神様」などの異名を持ち、その成功率は驚異の9割超え。守備でもゴールデン・グラブ賞6度と90年代の巨人を支えた川相氏だが、内野守備やバント練習などはプロになってから練習するようになったと明かした。

 入団当時を振り返り「バントは一年目に2軍の試合でしょっちゅう失敗してて、全然上手じゃなかったです。プロの球は速いですし、バントのサインが出ると芯に当たってピッチャー前に転がってダブルプレーになったりとかして…次の日の練習ではバッティングしなくていいからずっとバントやっとけ!とか言われてました」とコメント。

 特にバント上達のきっかけとなったのは89年に2度目の巨人監督に就任した藤田元司氏だったとし「(バント練習は)藤田監督が就任した平成元年から超真剣にやりました。打たなくてもいいからしっかり守って、バントやチーム打撃をきっちりやればレギュラーになれるかもしれないという考えに変わったので」と説明した。

 川相氏については、巨人時代の元同僚である中畑清氏が「表に出る練習なんて屁でもないよな。全体練習が終わってから努力するんだ。先に帰ったの見たこともないもん。必ず残ってどこかで練習してた。その印象しかないです」と証言。さらに特徴的だったのは「(バントを)失敗する練習をしてるんですよ。成功ばっかりしてると余裕が出ないんだよ。あえて失敗する(バットの)角度を覚えるっていう」と当時衝撃を受けたことを明かした。

 自身の練習について川相氏は「当時は照明設備もあまり整ってなくて、(練習は)基本日が暮れたら終わりなんですね。だから僕は休みの日にマシンを独占したくてみんなが遊びに行くのを寮の部屋でジッと見守りながら、そのチャンスを待ってました」とコメント。

 その性格から“ジイさん”と呼ばれていたのでは?と質問が飛ぶと、「いやいや、顔です。18歳の頃から言われてましたよ」と答えスタジオの笑いを誘った。

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