「清原のライバル」「清原の恋人」2人が今抱く思いとは

[ 2017年4月5日 10:00 ]

石橋貴明(左)と話す田子譲治さん(C)TBS
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 高校で、プロで清原和博氏に敗れた男が今、思うことは――。5日にTBSで放送される「石橋貴明のスポーツ伝説…光と影 清原和博に敗れ去った男たちの現在」(後8・57)で、清原氏に対決を挑み、敗れた2人の男性が出演する。

 1人目は1985年、春夏の甲子園で清原氏擁するPL学園(大阪)と対戦した宇部商(山口)のエース・田上昌徳さん。春は2回戦で当たり、宇部商が試合に敗れたものの清原氏に本塁打は許さなかった。一方夏は田上さんが準決勝で打ち込まれ、決勝には野手として出場。救援として登板することもなく、サヨナラ負けを喫した。

 社会人経由でプロ入りし、清原氏と再び対戦することを夢見ていたが、入社2年目、守備中にフェンスに激突し、利き腕の左肘を粉砕骨折してしまった。ライバルとの距離は大きく開いたが、故障からの復帰を目指していた時にチームメートから聞かされた言葉がある。「清原が、お前のこと言っとったらしいぞ。(中略)甲子園の決勝で、もしも田上が投げていたら、俺たちは負けたかもしれない…って」。その言葉を励みにプロ入りへの可能性を信じて野球を続けたが、社会人7年目、25歳の時に野球を諦めた。

 もう1人は清原氏より4歳年上の田子譲治さん。鳥取西からロッテ入りし、プロ5年目の1986年に1軍定着。この年にルーキーの清原氏と対決し、未だに高卒ルーキー記録として破られない31号本塁打を浴びたのが田子さんだった。

 翌年から右肩の故障に苦しみ、1990年に現役引退。その後は巨人の打撃投手として第二の人生を歩んだが、清原氏が巨人にFA入りしたことで再び2人の運命が交錯することになる。初めて会話を交わしたのは2001年。シーズン序盤に左膝を痛め打撃不振に陥っていたが、田子さんと3日間の早出特打に取り組んだことで打撃復活。この年打率・298、29本塁打、121打点と巨人入団以降最高の成績を残した。

 この頃から「清原の恋人」と呼ばれるようになったが、清原氏は2005年限りで巨人を退団。選手、打撃投手としての関係はなくなったものの、翌2006年、田子さんの父の葬儀に清原氏の名前が入った花が送られたこともあった。

 その後田子さんは右肩を痛め打撃投手を引退。ラーメン店へと仕事を変え日々を過ごしていた時、清原氏逮捕の報道を見て大きなショックを受けた。いてもたってもいられず、自ら警察へ出向き、清原氏の身元引受人を買って出た。だが、その思いは届かず、すげなく断られたという。

 清原氏との対決が人生を大きく左右した田上さん、田子さん。2人が今、清原氏に伝えたい思いを語る――。

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2017年4月5日のニュース