黒田、日本人初4年連続2桁 酷暑は広島市民球場で克服

[ 2013年7月27日 06:00 ]

<レンジャース・ヤンキース>10勝目を挙げた黒田

ア・リーグ ヤンキース2―0レンジャーズ

(7月25日 アーリントン)
 ヤンキースの黒田博樹投手(38)が、日本人で初の4年連続2桁勝利に到達した。25日(日本時間26日)、レンジャーズ戦で7回100球を投げ、6安打無失点で10勝目(6敗)をマーク。制球難、酷暑、援護の少なさという「三重苦」を克服した。常勝軍団の重圧と闘いながら、通算123勝を挙げた野茂英雄(ドジャースなど)さえも成し遂げられなかった快挙となった。

 ジョー・ジラルディ監督がベンチを出た。1―0の6回2死一、三塁で5番ピアジンスキー。球数は90球だった。交代も覚悟した黒田に対し、指揮官は「まだ行けるか?」と判断を委ねた。右腕は意気に感じた。返事はもちろん「Yes」だ。

 「グッとくるものがあった。意地でもゼロで抑えたい」。1ボールから94マイル(約151キロ)シンカーで左飛。痛烈な当たりを、左翼手ウェルズがスライディングキャッチで好捕。黒田は珍しくガッツポーズし「野球の神様がいた」と感謝した。

 気温35度の炎天下でのデーゲーム。「ボールはいっていなかった」と制球が不安定で、登板中の援護は1点だけ。だが、厳しい状況で結果を出すのも黒田だ。この日は、従来の87マイル(約140キロ)前後のスプリットに加え、2マイル(約3キロ)遅い落差の大きいスプリットを初めて織り交ぜた。5月に岩隈から握りなどのヒントを得た新球で「何とか配球でしのげた」と胸を張った。

 防御率はリーグ2位の2・51。ヤ軍移籍2年目でさらに進化した黒田の原点は広島時代にある。右翼ポールまで96メートル。打者有利のヤンキースタジアムや、酷暑でも力を発揮できる理由を「プロとして広島市民球場で育ったことが大きいと思います」と真顔で答える。

 かつての本拠地は両翼91・4メートルと狭く、夏場は瀬戸内海特有の「凪(なぎ)」と呼ばれる無風状態でマウンド上はサウナのようだった。しかし、その中でボール一個分の制球の大切さや、ピンチで耐え抜く精神力を培った。一発のリスクを背負いながら06年には防御率1・85で最優秀防御率に輝いた。広島の先発としては89年大野豊(1・92)以来、17年ぶりの1点台だった。

 パイオニアの野茂でもなし得なかった4年連続2桁勝利。黒田がその記録をスタートさせたのは35歳。「今まで素晴らしい投手がたくさん(米国に)来ている中で、初めてというのは素直にうれしい。凄く光栄なこと」。加齢を体力的な衰えとするのではなく、経験という財産にしてきたからできた偉業だった。

 ≪3度目日本人2桁トリオに王手≫日本人大リーガーの3年連続2桁勝利は、野茂が95~97年、01~03年の2度記録していたが、4年連続は黒田が初めて。また、黒田と岩隈が10勝を挙げ、レンジャーズのダルビッシュが現在9勝のため、99年(野茂12、吉井12、伊良部11)、02年(野茂16、石井14、大家13)以来3度目となる日本人2桁勝利投手トリオの誕生に王手をかけた。

続きを表示

2013年7月27日のニュース