夏に帰ってくる!東北ナイン 甲子園の土持ち帰らず

[ 2011年3月29日 06:00 ]

<東北・大垣日大>2回、斎藤がチーム初安打を放った

第83回選抜高校野球 東北0―7大垣日大

(3月28日 甲子園)
 家族、友人…いろいろな人の思いを背負って、東北ナインは聖地の舞台に立った。そして甲子園の土をしっかり踏みしめ、堂々とプレーした。

 一塁手の斎藤は帽子のつばの裏に「2011・3・11」と「宮城県孝行」という言葉を書いた。自宅は仙台市若林区にある。家族は無事だったが、周囲の景色は変わってしまった。幼なじみの少女は、母親が津波にのまれて亡くなった。「大丈夫か?」と送ったメールの返信は1週間後に届いた。「大丈夫。甲子園頑張って」。寮を出発する前夜には家族から電話で何度も励まされたという。「一日も早く帰りたい。でも、一瞬でも長く甲子園の土を踏んでいたい」。揺れる心を白球に託し、2回にはチーム初安打を右前に運んだ。

 捕手の吉川は介護福祉士の両親を持つ。仙台市内の老人ホームで働いており、震災直後から人手不足を補うために被災者の世話に当たっている。今大会は息子の応援に駆けつける予定だったが、取りやめた。「仕事があるから行けないけど頑張ってくれ」。その言葉だけで十分だった。「自分たちが出場した経験を仲間にも伝えれば、夏につながる」。夏に再び戻ってくることを誓った。

 背番号15の工藤も帽子のつばの裏に「2011・3・11 東日本大震災」と記した。地元の七ケ浜町は津波に襲われて小、中学の同級生2人を亡くした。2人とも成人式での再会を約束していた大切な友人だった。宿舎の部屋で1人になるたび、亡くなった2人の顔を思い浮かべてきた。

 ナインは誰一人、甲子園の土を持ち帰らなかった。工藤が言う。「被災地のためにという信じるものがあれば頑張れると教えられました。甲子園の土を踏めただけで幸せでした」。東北を勇気づけただけではない。東北から勇気をもらったのもまた、彼らだった。 

 ≪小川、大飛球も幻弾≫5点を追う東北は3回、2死一塁から3番・小川が右翼ポール際に大飛球を放った。打球は右翼フェンスを直撃したが、一塁の西方塁審は右手を回し本塁打と判定。走者2人が生還し、三塁側アルプス席は盛り上がった。しかし直後に審判団がマウンド付近で協議した結果、判定が覆って二塁打となり、幻の本塁打に。岸球審は「協議の結果、二塁打とし、2死二、三塁から試合を再開します」と場内放送で説明した。

続きを表示

この記事のフォト

2011年3月29日のニュース