拍手だ東北ナイン!完敗も「胸張って帰りたい」

[ 2011年3月29日 06:00 ]

試合後、整列して「聖地・甲子園」に感謝する上村(左)ら東北ナイン

第83回選抜高校野球 東北0―7大垣日大

(3月28日 甲子園)
 希望の光は被災地に届いたに違いない。東日本大震災で大きな被害を受けた宮城から出場の東北が、1回戦最後のカードに登場。優勝候補の大垣日大(岐阜)と対戦したが、0―7で敗れた。それでも震災を乗り越え、最後まであきらめないプレーを披露したナインに、東北側のアルプス席を埋め尽くした応援団からは惜しみない拍手が送られた。東北ナインは29日に地元・宮城に戻る。
【試合結果】

 球場全体を包んだため息は、すぐに拍手に変わった。被災地のみならず、日本中の期待を背負った東北の戦いは、2時間5分で終わりを告げた。試合には敗れた。だが、上村主将らナインは今、できることを精いっぱいやりきった。

 「被災した人のため、自分たちのため、そして応援に来てくれた人のために頑張ろうと思いました。悔しくないと言ったらウソになりますが、胸を張って帰りたいと思います」

 初回。整列後、全力疾走でマウンドに向かった上村だったが、すぐに試練が待っていた。試合開始のサイレンが消える前に、いきなり初球を右翼席に運ばれた。浮足だったエースはこの回だけで5失点。やはり試合勘は戻っていなかった。

 忘れもしない11日の午後2時46分。仙台市内のグラウンドで打撃練習中に地震に襲われた。電気、ガス、水道といったライフラインは遮断され、避難所に移った寮生の食事はおにぎりとたくあんのみの1日2食。余震は300回を超えた。とにかく生きること。誰に言われるともなく、ナインは給水所などでボランティア活動に従事した。野球のことを考えられる状況ではなかった。

 大会開催が決まり、19日に大阪入り。しかし宿舎のテレビで見た地元の惨状は、それまでナインが心に抱えてきた葛藤を増幅させた。「野球をやっていていいのだろうか」「自分たちだけがホテルで足を伸ばして寝ていいのか」。そんなナインに心を鬼にしてゲキを飛ばしたのが、選手から兄貴分として慕われOBでもある我妻敏部長(28)だった。「全然声が出てないじゃないか。なぜみんながここに来ているか理由を考えてみろ」。我妻部長は今回の震災で野球部時代の同級生を亡くしている。それでも悲しみを隠してノックを打つ姿に上村主将は「自分たちがやれることは一生懸命、野球をやるしかない」と前を向いた。

 2回以降は立ち直った上村だったが、6回に7点目を奪われ夏井にマウンドを譲った。9回には3番手の片貝が登板。帽子のつばに書き込んだ「勝利の方程式 自分+夏井+片貝」は半分しか実現しなかったが、自分たちの使命と考えていた「全力疾走、全力プレー。最後まであきらめないこと」はやり遂げた。

 被災者を勇気づけることを期待された甲子園での戦いは終わった。しかし地元・宮城ではまだまだ震災の爪痕に苦しんでいる人が大勢いる。「学校に帰ったらボランティア活動とかをやりたいです」。今度は地元に帰り、野球をさせてくれた人たちへの恩返しを模索する。

 ▽東北ナインの18日間 11日の被災直後から仙台市内の避難所でボランティアに従事。給水所の飲料水を避難所に運び、プールから生活用水をくみ上げるなど精力的に力仕事をこなした。また炊き出しで料理を渡す際には高齢者に優しく声をかけるなど、地域住民と助け合いながら生活した。移動のメドが立たないため15日の抽選会も欠席。試合は1回戦最後のカードとなる大会6日目の第1試合に組み込まれた。大会開催が決まり19日に大阪入りする際も、仙台空港が使用できなかったため山形空港から出発するなど、出場校の中で最も震災の影響を受けた。29日に空路で宮城に戻るが、授業再開は4月中旬までずれ込む予定となっている。

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