パラ・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

パラ陸上マラソン・熊谷豊 高橋尚子並み猛練習で狙う「世界新で金メダル」

[ 2020年7月20日 05:30 ]

チャレンジド・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

東京パラリンピック出場を目指す熊谷
Photo By 提供写真

 パラ陸上の視覚障がい者マラソン(T12)で熊谷豊(33=三井住友海上)が頂点に挑む。昨年12月の福岡国際マラソンで年間世界ランキング2位の好記録を出して飛躍。新型コロナウイルスの影響で1年延期となった東京パラリンピック開幕まで400日となった中、環境改善による成績アップの舞台裏や世界記録への意欲を語った。

 延期を余儀なくされた東京パラリンピック挑戦。日本ブラインドマラソン協会(JBMA)の安田享平強化委員長が「世界記録を出させるつもりだった」と明かしたパラ選考対象のロンドン・マラソン(4月)も延期されたが、初出場を狙う熊谷は「400日あれば、さらにスピードを付けて勝負できるんじゃないか」と前向きに受け止めている。

 生まれつき目に入る光の量を調整できない無虹彩症。曇りでもまぶしさを感じ、練習や競技でサングラスは不可欠だ。合併症で焦点が定まらずに視力が落ち、想定外の段差やくぼみに弱い。給水所でテーブルのボトルを全て倒したこともある。

 大学時代までは健常者と競った。中学2年で陸上部に入り、高岡法大4年時は全日本大学駅伝に出場。「実業団に行くほどでもなかった」と競技生活に区切りをつけたが、09年の就職から3年後、転機が訪れた。ダイエットのために視覚障がい者を支援するマシンを備えた施設で練習を始めると、障がい児の親に「子供も一緒に走らせて」と声を掛けられた。交流する中で「障がいがあるなら、そこで速くなることを目指せば」と助言され、新たな挑戦が始まった。

 初めてパラに挑んだ16年リオデジャネイロ大会。選考会で自己ベストを4分近く縮める2時間34分6秒で走ったが、代表入りした選手にかわされて切符を逃した。フルタイムで働き、練習や持ち帰った仕事もこなすと、就寝は午前0時前後。「ちょっと厳しかった」と限界を感じていた。練習場で知り合ったパラ競技に取り組む米岡聡から、競技支援に理解がある勤務先の三井住友海上を紹介され、17年4月に転職した。

 環境は一変した。午前5時起床で30キロ弱を走り込む。午前10時から午後4時まで働き、そこから体のケアや筋力トレなどに時間を使って午後9時半に就寝。「いろいろサポートはありますけど一番は時間。どうしたら速くなるか自分で考えて行動するようにもなった」。練習は以前よりスピード重視で5キロごとのラップを意識。15分10秒と、リオ挑戦時から30秒以上短縮した。昨年12月の福岡国際マラソンは2時間25分11秒で優勝。タイムはリオ落選時から8分55秒も縮まった。

 JBMAの安田強化委員長は言う。「練習をこなす体力、忍耐力が素晴らしい。素質はあっても練習できない選手は多い。朝晩とか年間で700~1000回ぐらい。並の人間は何年も続かないですよ」。月間1300キロ程度を走り込むこともある。猛練習で知られた五輪金メダリストの高橋尚子さんらと比べ「遜色ない」と指摘する。

 世界記録はリオ・パラを制したエルアミン(モロッコ)の2時間21分23秒。酸素マスクを付けてマシンを走り、血液を採取して乳酸濃度や心肺機能などを測定するテストで、熊谷は2時間16分台が可能という数値を出す。まずは出場権が必要だが、東京パラで狙うのは世界新。同僚の道下美里が女子の世界記録を持っており「自分も狙いたい。三井住友海上で男女の世界新が獲れるんじゃないか」と支援への恩返しも意識する。

 昨年8月に悦子夫人(43)と結婚。10月に長女・実紅(みく)ちゃんが誕生した。競技に集中する現在は福岡の2人と離れて暮らす。「いずれはこっち(東京)で、と思いますが、今はコロナや競技のこともあるので」。新型コロナが収束した東京で黄金色に輝くメダルを手にし、家族水入らずの新生活を――。サングラス越しの視界に捉えた夢を追い、熊谷は走る。

 【支援】
三井住友海上は熊谷や道下、トライアスロンの米岡ら5人のパラアスリートを社員に採用している。約30年の歴史を持つ女子の柔道部と陸上部、14年創部のトライアスロン部に続くスポーツ活動の柱として支援。広報部広報チームの松尾巌課長は「応援は社会を明るくして一体感を醸成する」と社員や代理店など関係者の結束強化に期待する。
 社員アスリートが社会人として一流になることで「周りの人材育成にもなる」と周囲との相乗効果、また各選手によるスポーツ教室など地域住民との交流を通じた社会貢献も意識する。元陸上部の社員が道下の伴走者を務めるなど枠を超えた交流も見られるようになり、松尾課長は「何十年もやっているスポーツ支援がパラアスリートとシンクロするのは大変うれしい」と話した。

 【背景】
 先天性無虹彩症は目に入る光の量を調整する虹彩が欠損している状態で、熊谷は「晴れている時は目をつぶらないといけないぐらいのまぶしさを感じる」と話す。視野に問題はないものの「合併症で視力が悪い」と明かし、見分けがつかない階段を踏み外したり知らない段差で転ぶこともあるという。会社では総務部で事務処理の効率化などを担当。パソコンを使用する際は画面を拡大して文字を白黒反転させるなどの工夫で対応する。進行性ではないため症状が大きく変化することはないという。

 【競技】視覚障がい者マラソンは、最も障がいの程度が重い全盲でガイドランナー(伴走者)が必要な「T11」、程度が重い弱視ながら伴走者の有無を選べる「T12」、程度が軽い弱視で単独走の「T13」にクラス分けされる。日本は96年アトランタ大会T11(当時T10)で柳川春己、04年アテネ大会T11で高橋勇市が金メダルに輝くなど全盲クラスで強さを発揮してきたが、08年北京大会以降はT11を統合する形でT12のみが行われ、T13は実施せず。16年リオ大会は初採用の女子で道下が銀メダル、男子で岡村正弘が銅メダルだった。

 【現状】
 世界選手権を兼ねた昨年4月のロンドン・マラソンで日本人最高の3位だった堀越信司(NTT西日本)が推薦1位で東京パラ代表に内定。8月の北海道マラソンの結果で推薦2位となった熊谷も今年4月のロンドンで6位以内、さらにパラ参加資格がない選手の中で2位までに入れば出場確実という状況だった。大会は延期されたが、熊谷は1年後に同じ条件で選考があることを想定して調整している。過去10年の自己ベストはリオ金のエルアミンが2時間21分23秒、リオ銀のアルベルト(スペイン)が2時間21分47秒、熊谷は2時間25分11秒の3番手に続く。出場権を得ればメダル候補となるのは間違いない。

【略歴】
 ◇熊谷 豊(くまがい・ゆたか)
 ☆生まれ 1987年(昭62)2月14日、秋田市出身の33歳。
 ☆サイズ 1メートル69、56キロ。
 ☆道のり 秋田市立城東中2年で友人に誘われて陸上部に入り、3000メートルで県6位と頭角を現す。地元の強豪だった金足農を経て高岡法大に進んだ。09年にIT関連企業に就職し、17年4月に三井住友海上に転職。
 ☆刺激 母校の金足農で野球部を18年夏の甲子園で準優勝まで導いた吉田輝星投手(現日本ハム)に「本当に凄い。やっていることは違いますけど、自分も出身校の先輩として世界を目指して勝負できるよう頑張りたい」と刺激を受けている。

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