チャレンジド・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

パラ水泳・辻内彩野のシンデレラストーリー 人生変えた運命の出会い たった3年で世界のトップに

[ 2020年2月7日 10:00 ]

チャレンジド・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

笑顔を見せる辻内彩野(撮影・会津 智海)
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 パラ水泳界にシンデレラガールが誕生した。自由形専門でS13クラス(弱視)の辻内彩野(23=三菱商事)はパラに転向してまだ3年。初出場の19年世界選手権では専門外の100メートル平泳ぎで銅メダルを獲得した。健常で活躍した高校時代は、全国大会に出場した経歴を持つ。普段は雑貨店で働くディズニー好きの女の子が東京パラの有力メダル候補だ。(小田切 葉月)

 ◆地区大会でVS池江
 水に彩られた日々を送ってきた。父はスイミングクラブのコーチで、母は自由形で日本選手権に出場した元選手。3歳下の妹も競技を続ける水泳一家で生まれ育った辻内は、「幼稚園のときには、お風呂ででんぐり返し。休みの日にはプールに行って、蹴伸びとかして遊んでました」と思い出を語る。エピソードは常に水と一緒だった。

 小学3年生からスイミングクラブに通い始め、中学1年から本格的に競技開始。高校受験のときは「勉強で練習時間を削られたくない」という理由から、練習を続けながら単願推薦を使って母の出身校である水泳の強豪、昭和学院高校に入学。リレーで2年生のときにジュニアオリンピック、2、3年生のときにインターハイに出場した。一般の地区大会では同じ東京都江戸川区出身で4歳年下の池江璃花子と対戦したこともある。ケガに悩まされ、高校卒業後競技を離れたが、「水に入っていないと気持ち悪い」と大学では水泳サークルを創設。とにかく水泳一筋だった。

 ◆運命の出会い
 運命の出会いは高校1年のときだった。水泳部の同学年に、後に16年リオデジャネイロ・パラリンピックに出場する森下友紀(上肢障がい)がいた。初めての会話で辻内は「なんで腕ないの?事故?生まれつき?」と尋ねた。小学生の頃、学校に併設された特別学級で、ダウン症や知的障がいの子供たちと接したことはあったが「初めて腕がない、欠損の人と会った。それでも水泳をやれる世界があるんだな、っていうのを知った」。

 辻内は小学生の頃まで視力が1・5あった。だが、成長するにつれて、視力はどんどん低下した。高校卒業後の3月、森下と一緒に行ったカラオケで、辻内はモニターを近距離で見ながら熱唱。その様子を見た森下から「それ以上視力悪くなったら、パラ来れば?」と伝えられたという。辻内も「当時はここまで悪くなると思っていなかったので“じゃあ行くわ!”って返しました」と振り返る。

 ◆難病指定受け
 冗談交じりの会話は現実となった。1カ月後の15年4月に難病指定の「黄斑ジストロフィー」と診断された。症状はさらに悪化し、17年に障がい者手帳を手にした。辻内は、森下の言葉を思い出し、パラの世界に飛び込んだ。

 パラ転向後の活躍は目覚ましかった。17年のジャパンパラでは、3種目で日本新を樹立。18年アジアパラで4個の銅メダルを手にし、一気にパラ水泳のトップ選手に上り詰めた。19年世界選手権では、初出場ながらパラに転向するまで専門外だった100メートル平泳ぎで銅メダルを獲得。一方で得意とする自由形の3種目では、メダルには届かなかった。

 「銅メダルを獲れたのはうれしかったけど、自由形でメダルを獲れなかったのは悔しかった」。今も雑貨店でアルバイトしながら競技を続けるが、世界選手権後は練習への集中度が増した。苦手とするウエートトレーニングで腕の左右差の解消や上半身の強化に着手。また、健常の時からの課題であるスタートの入水角度の修正にも取り組んでいる。

 ◆メダル欲しい
 東京パラまで、残り200日。3月6~8日に静岡県富士水泳場で行われる春季記録会で、派遣基準記録を突破すれば代表に内定する。代表入りのご褒美は決めている。大好きなディズニーランドに行くこと。「3月ですぱっと決めて、すぱっと笑って、遊んで、本番を迎えたいですね」と笑顔で語る。

 辻内が属するS13は、視覚障がいの中で一番軽いクラス。健常に近いため「初めてパラの試合を見る人にとっても、見やすいと思う」と分析する。

「見てくれる人が笑顔になれるようなレースがしたい。欲を言えば、東京で何色でもいいからメダルが欲しいです」。辻内のシンデレラストーリーはまだ始まったばかりだ。

 【背景】
 大学1年の春に、視力が徐々に低下していく進行性の難病「黄斑ジストロフィー」の診断を受けた。小学生のときには1.5あった視力が、成長するにつれてどんどん低下。高校入学を機にメガネをかけ始めたが、半年で合わなくなった。時計の針が分からなくなり、理科の実験器具の目盛りを読もうとしても読めない。「普通の近視ではないな、と思いました」と振り返る。高校卒業後に検査をし、病気が発覚した。
 現在視力は0.03~0.04。視界は500円玉大の中央部分が欠け、ドーナツ状にものを見ている状態だという。スマートフォンは文字の大きさと液晶の明るさを最大にし、画面に顔がつきそうな距離まで近づけて使用。難病指定のため治療法はなく、半年~年1回の定期健診で経過観察をしている。

 【支援】
 以前は辻内の練習拠点であるスイミングクラブ「OSSO南砂」を所属先としていたが、19年4月から三菱商事に所属する。それまでは「基本的に自分が窓口だった」と明かす。自身のSNSに直接取材依頼が来て、自ら対応していたという。世界選手権後からメディアへの出演依頼が増えたが「所属アスリートになって、メディア関連の対応もマネジメントもしてくれる。競技に集中できる環境をつくってもらえている」と語った。
 もちろん、金銭面での支援も大きい。海外遠征費の負担や、ジャージーや水着などレースで使用するものは支給される。「女子の場合、レース用の水着は5万円くらいする。それを作ってもらえるのはありがたい」と感謝した。

 【競技】
 身体、視覚、知的と障がいを3つに大きく分け、そこからさらに重度に応じた細かいクラス分けがある。視覚障がいは11~13の3クラスで、辻内は一番障がいが軽いS13(弱視)で泳いでいる。視覚障がいの選手はターンやゴールタッチのときに壁にぶつかる危険があるため、コーチがタッピングデバイスという棒を使って選手に触れ、壁が近いことを知らせる。障がいが最も重いS11(全盲)では合図を送ることが義務づけられている。ルールは五輪にほぼ準じているが、障がいに合わせて一部変更されている。特にスタート方法はさまざま。障がいによって飛び込みが難しい選手は、水中からのスタートも認められている。

 【現状】
 パラ水泳は1960年の第1回大会から正式競技として採用。日本での競技人口は、連盟に登録している選手だけでも約1400人に上る人気のパラスポーツ。これまでパラリンピックでは金26個、銀23個、銅35個のメダルを獲得してきた。選手の年齢層も幅広く、長年活躍する選手や、1大会で複数のメダルを手にするも選手もいる。96年アトランタ以降5大会で計15個の金メダルを獲得した成田真由美(身体障がいS5)は現在も現役選手として、東京大会出場を狙っている。
 昨年の世界選手権で優勝し、東京パラの代表に内定しているのは、木村敬一(視覚障がいS11)、東海林大、山口尚秀(ともに知的障がい)の3人。特に全盲のエース木村はロンドン、リオの2大会であと一歩及ばず銀メダルで、悲願の金メダルを狙う。リオのメダリストはもちろん若手選手たちの台頭もあり、活躍が大いに期待される。

 【略歴】
 ◇辻内彩野(つじうち・あやの)
 ☆生まれ 1996年(平8)10月5日、東京都江戸川区出身の23歳
 ☆サイズ 1メートル60、60キロ
 ☆学歴 千葉・昭和学院高
 ☆憧れの選手 萩原智子とレスリング吉田沙保里。吉田については「誕生日が一緒だし、同じくらい心が強い選手になりたい」
 ☆好きなディズニーキャラクター プーさん、グーフィー
 ☆家族構成 父・満夫さん、母・信子さん、妹・佳穂さんの4人家族
 ☆日本記録 自由形4種目、バタフライ2種目、100メートル背泳ぎ、100メートル平泳ぎ、200メートル個人メドレーの9種目の日本記録保持者
 ☆座右の銘 「楽しんだもん勝ち」

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