パラ・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

【二宮清純×注目パラアスリート(2)】車いすバスケ 小田島理恵 体験教室で“とりこ”に

[ 2018年10月4日 05:30 ]

笑顔が魅力的な小田島
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 スポーツライターの二宮清純氏(58)が、リクルート所属でリクルートオフィスサポート(東京都中央区)に勤務するアスリート3人を直撃。東京パラへの出場が期待される車いすテニスの菅野浩二(37)、車いすバスケットボールの小田島理恵(29)、シッティングバレーボールの田沢隼(25)に鋭く迫った模様の第2弾。

 二宮 まずはテニスの菅野さん、大坂なおみ選手(20)が全米オープンで優勝しましたね。菅野選手はどのようにご覧になりましたか。

 菅野 完全なアウェーでしたが自分のサーブをキープしていて、凄いメンタルの強さだなと思いました。

 二宮 その通りですね。さて、前回は皆さんの競技の現状についてお聞きしましたが、今回はあらためて皆さんがパラスポーツと出合ったきっかけについて教えてください。

 菅野 私は15歳で交通事故に遭い、気がついたら入院していました。オートバイの後ろに乗っていたのですが、車と接触して…。首の骨折でした。リハビリの病院に入ったときに、同じような障がいを持つ先輩たちが車いすテニスをしていたのです。その中のひとりがテニス用の車いすを譲ってくれたことがきっかけで競技を始めました。

 小田島 私は22歳で事故に遭い、歩けない状態で退院しました。父が近くの障がい者スポーツセンターを探してくれました。そこのトレーニング室で歩行訓練をしているときに、車いすバスケットボールの体験教室があったのです。何気ない気持ちで行ったら、もの凄く楽しかった。それで、翌週からチームの練習に参加するようになりました。

 田沢 19歳の時、実家のリンゴ畑の手伝いで、リンゴを運ぶ機会に足を挟まれ、右の大腿を切断しました。義足になってもスノーボードや普通のバレーボールをやっていましたが、障がい者のスポーツイベントでシッティングバレーと出合い始めました。

 二宮 皆さん、大変な出来事を乗り越えて、今ここにいらっしゃるんですね。では、ケガをする前のスポーツ歴についてはいかがでしょうか。

 菅野 自分は小中でサッカー、高校はバスケットボールをしていました。

 小田島 中学では吹奏楽をやっていましたが、高校時代は少林寺拳法です。

 田沢 小学校からバレーボールを始めて、高校(弘前工)時代は全国大会に出場した経験があります。

 二宮 ありがとうございます。次は、それぞれの課題をどうクリアしていったかについてお聞きします。(次回は11日掲載予定)

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