曙さんと同期「花の六三組」元魁皇も追悼「人に対しての優しさがあった」角界から悲しみの声続々

[ 2024年4月12日 04:15 ]

88年に新弟子検査を受ける曙

 大相撲で史上初の外国出身横綱となり、格闘家としても活動した元横綱・曙の曙太郎(あけぼの・たろう、旧名チャド・ローウェン)さんが4月上旬に心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳だった。大横綱の死去に、角界からも悲しみの声が上がった。

 曙さんと同期生の浅香山親方(元大関・魁皇)は「現役時代は一緒によく稽古をした。ただただ残念で、本当に寂しい。若貴兄弟に本当に対抗できたのが曙さんだった」としのんだ。「花の六三組」の結束は固く、引退後もよく同期会を開いていた。「人に対しての優しさがあり、同期生と話す時の楽しそうな笑顔が印象的だった」と語った。

 ▽花の六三組 昭和63年(1988)春場所で初土俵を踏んだ95人のうち、関取(十両以上)に昇進した11人を指す。曙、貴乃花、若乃花が横綱、魁皇が大関に昇進しており、大相撲史上でも最も成功した世代とされる。

 ▼武蔵川親方(元横綱・武蔵丸) 今はショックな気持ちが大きいです。心からご冥福をお祈りいたします。(ハワイ出身の後輩)

 ▼日本相撲協会八角理事長(元横綱・北勝海) 残念だ。ずっと具合が悪いとは聞いていた。稽古をつけた時に何度も転びながら、もう一丁、もう一丁と挑んできたのをよく覚えている。とても根性があった。

 ▼東関親方(元小結・高見盛) 思い出がありすぎて言葉にならない。豪快で優しくて明るく、身も心も大きい横綱だった。入門して初めて稽古で胸を借りた時、当たってすぐに突っ張りを食らって吹っ飛ばされた。(曙さんの弟弟子)

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