十両・豊山が電撃引退 千秋楽取組後には「出し切れたのでよかった」最後まで持ち続けた感謝の気持ち

[ 2022年11月28日 13:15 ]

<大相撲九州場所15日目>栃武蔵に寄り切りで破れた豊山(撮影・中村 達也)
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 日本相撲協会は28日、十両・豊山(29=時津風部屋)の引退を発表した。

 現役最後の一番となった千秋楽の栃武蔵(24=春日野部屋)戦。大きな相手に中に入られながらも左上手投げを打つなど懸命に応戦した。最後は左からおっつけられて土俵を割ると、やり切ったようなすがすがしい表情。取組後は「最後勝ちたかった。あそこで投げきれない、寄り切れないのが現状なのかな」と少し悔しがりながらも「出し切れたのでよかった。思い切りいった結果なので、これが自分の現実」と受け入れた。両肘のケガに苦しみ、本来の力が発揮できず5勝10敗に終わった今場所。「こういう状況でもたくさんの方が応援してくださった。そのおかげで場所を乗り越えられたので感謝しきれないですね」。常々「応援してくださる方々のために」と周囲への気遣いを忘れない豊山は、最後まで感謝の気持ちを持ち続けた。

 豊山(本名=小柳亮太)は東京農業大で1年時からレギュラーで活躍。3年時には、日本代表として大道久司(現関脇・御嶽海)、中村大輝(現幕内・北勝富士)とチームを組んで世界選手権の団体戦に出場し、日本を優勝に導いた。4年時には個人戦でも同大会に出場し、重量級で世界チャンピオンに。同学年で近大の石橋広暉(現幕下・朝乃山)とともに学生相撲界のトップを走り続け「東の小柳、西の石橋」とも呼ばれた。

 全日本選手権ベスト8以上に与えられる、この年から新設された「三段目100枚目格付け出し資格」の適用第1号として石橋と同時に16年春場所で初土俵を踏んだ。デビュー戦で石橋といきなり対戦して勝利。勢いそのままにデビュー17連勝を記録した。所要4場所でザンバラ髪のまま新十両に昇進し、入門から1年で幕内まで駆け上がった。17年夏場所、新入幕を機に本名の「小柳」から「豊山」に改名。同じ時津風部屋で同じ新潟県出身、同じ東京農業大の大先輩が代々名乗った由緒あるしこ名を3代目として襲名した。18年名古屋場所では、学生時代にしのぎを削った御嶽海、朝乃山と優勝争いを演じ、自身最多となる12勝を挙げて敢闘賞を獲得。朝乃山との大相撲での対戦成績は3勝4敗だった。

 会見は29日に行われる。


 ◇豊山 亮太(ゆたかやま・りょうた)本名=小柳亮太。1993年(平5)9月22日生まれ、新潟県新潟市北区出身の29歳。小1から豊栄相撲教室で相撲を始め、小5でわんぱく相撲全国大会3位。石川・金沢学院東高(現・金沢学院大附属高)3年時に全国高校総体8強。東京農業大2年時に全国学生選手権準優勝。3年時に全日本大学選抜宇和島大会準優勝、全国選抜大学実業団対抗和歌山大会優勝、世界選手権団体優勝。4年時に東日本学生選手権優勝、全日本大学選抜十和田大会優勝、世界選手権重量級優勝、全国学生体重別無差別級優勝、全日本選手権8強。東京農業大を卒業後、時津風部屋に入門。16年春場所、新設された三段目100枚目格付け出しで初土俵。同場所で三段目優勝。翌夏場所で幕下優勝。同年九州場所で新十両。17年夏場所で新入幕。最高位は西前頭筆頭(20年7月場所)。幕内在位26場所。幕内成績165勝215敗10休。通算成績277勝281敗10休。1メートル85、181キロ。

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