パラアーチェリー岡崎愛子は敗退も充実感「なりたい姿に近付けた」 脱線事故乗り越え

[ 2021年9月1日 12:04 ]

東京パラリンピック・アーチェリー ( 2021年9月1日    夢の島公園アーチェリー場 )

<パラリンピック アーチェリー>女子個人(車いす)準々決勝、矢を放つ岡崎(撮影・木村 揚輔)
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 悪天候予報により1日順延した女子個人(車いすW1)は、岡崎愛子(35=日本身体障害者アーチェリー連盟)が準々決勝で中国選手に129―132で敗れた。

 ランキングラウンド1位の強敵に3点及ばなかったものの善戦し、岡崎は「良い内容でできていたけど、相手が強かったですね」と充実の表情で振り返った。「雰囲気にのまれた」というランキングラウンドと混合団体の反省を生かし、「リラックスして自分のアーチェリーに集中できた。楽しめました」と終始笑顔。代表内定しながら今年2月に60歳で亡くなった仲喜嗣さんと混合でペアを組んでいた岡崎は、仲さんのユニホームをこの日も車いすの下に忍ばせ「仲さんは大舞台に強い。私も堂々とやろうと臨みました」と力に変えた。

 同大2年生だった05年4月、107人の死者を出したJR福知山線脱線事故に巻き込まれた。通学中だった岡崎が乗っていた先頭車両はマンションに突っ込み、生死の境をさまよった。頸髄(けいずい)を損傷し、入院生活は負傷者最長の377日。首から下にまひが残り、体幹、両足の機能を失った。

 大学に復学して卒業後は、東京で就職して1人暮らしを始めた。体を動かすことが好きで中学時代はソフトボールに汗を流した岡崎は、経験者の母の勧めで東京大会催が決まった13年にアーチェリーと出会う。介助者のサポートを受けて道具に頼りながら腕を磨き、パラリンピック代表の座を射止めた。できなくなったことよりも、「どうやったらできるか」を常に考えてきた岡崎。初の大舞台を終え「どうやったら真ん中にあたるかを試行錯誤して、その結果こうして世界の選手と戦えた。結果として負けてしまったけど、なりたい姿に凄く近付けた」と充実感がにじんだ。

 選手としての今後については「分からない」としたが、アーチェリーの競技人口を増やすため講演会などの活動を続ける予定だ。未曾有の大事故から16年。「事故をなかったことにしたいわけじゃない。そこから得られたこともあった。自分の一つ一つの経験の積み重ねでここまで来ているので、それを伝えていけたら」。未来だけを見続けた35歳が、自身の挑戦の日々を一つの形にした。

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2021年9月1日のニュース