岡本綾子氏から宇津木監督に「自然体の采配を」 実業団時代から親交 妙子氏の“愛弟子”にエール

[ 2021年7月21日 05:30 ]

ソフトボール女子日本代表の宇津木監督
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 麗華には、監督として、一歩先、二歩先を見抜く力があります。ご飯を食べながら一緒にプロ野球を見ると、作戦がよく当たるのです。戦術の発想も豊か。選手でも才能がありましたが、監督としての「目」も確かです。

 私はゴルファーに転向した後も、ソフトボールの実業団時代(※注1)から親交がある宇津木妙子(元日本代表監督)の元をよく訪ねました。だから、妙子を慕って中国から来た彼女を、来日当初から知っています。年齢は、私が一回り上だけど、お互いB型だからか、妙にウマが合いました。

 90年代半ばに一度、国内ツアーでキャディーをしてもらいました。ゴルフ界にはソフトボール出身者が多いので、彼女の人柄もあって他のプロから慕われていましたね。負担を減らすために、クラブを1本抜いて13本にしました。口では「いいトレーニング」と言っていましたけど、夏場で暑く、予選も通ったこともあって、かなりへばっていました。

 麗華の父は中国軍の方で富裕層の出です。しっかりとした教育を受けていますが、お嬢さん的なわがままな部分もあります。キャディーを通じて周囲への気遣い、お金を稼ぐ大変さなど、ソフトにはない苦労を、身に染みて感じたのではないでしょうか。

 96年アトランタ五輪直前の出来事は、忘れられません。麗華は日本代表に選ばれませんでした。中国に出場を認めてもらえなかったことが原因です(※注2)。生まれた国に拒否をされ、本当にショックを受けていました。私は心配で、トーナメントを休んで高崎へ向かいました。ソフト部の寮で、10日ほど2人で過ごしました。グラウンドを走ったり、パチンコへ行ったり、ピアスの穴を空けるのを手伝ったり。傷ついているのは分かっていますから、暗黙の了解で、この件に触れることはありませんでした。明るい性格の麗華があれほど落胆した姿を見せたのは、後にも先にもこれっきりです。

 同じ監督でも、妙子は人情で選手を使うところもあったけど、麗華は選手の力量を的確に見抜いて、成功の確率が高い方を使う印象ですね。交代の決断も早い。五輪でもこれまでどおり、気負わずに自然体の采配をしてほしいです。(プロゴルファー)

 ◆岡本 綾子(おかもと・あやこ)1951年(昭26)4月2日生まれ、広島県安芸津町(現東広島市)出身の70歳。ソフトボールの左腕投手兼として愛媛・今治明徳高、ダイワボウ福井で活躍。21歳の72年に同社をやめてゴルフの道へ。74年に国内プロテストに合格。81年に賞金女王に輝く。82年から米ツアーに本格参戦し、87年に米国選手以外で初めての賞金女王に輝く。国内44勝、米国17勝、欧州1勝。05年世界殿堂入り。

 (注1)広島の安芸津中時代からサウスポーの速球派として知られる。愛媛・今治明徳高へ進学すると4番、エース、主将として活躍し全国高校総体で準優勝。実業団のダイワボウ福井でも剛腕豪打でならし、入社2年目に国体制覇。日本代表クラスの実力があったが1972年の国体で準優勝後、ゴルファーに転向した。

 (注2)宇津木監督は来日8年目の95年に32歳で日本国籍を取得。アトランタ五輪イヤーの96年は日本代表の主砲として活躍。しかし、五輪憲章の「国籍取得後3年を経過しない選手の出場は、元の国籍を有していた国の承認が必要」の条項を満たすために中国と交渉し、認められず。五輪直前に代表から外れた。

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