古賀さん 愛弟子谷本さんに昨夏“最後の手紙”、師の教え守り「常に前へ進む」

[ 2021年3月25日 05:45 ]

古賀稔彦さん死去

04年アテネ五輪で優勝を決め、試合後に古賀稔彦コーチ(左)と肩を組みガッツポーズする谷本歩実
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 古賀氏の急逝に、04年アテネ五輪時に階級担当コーチとして指導を仰いだ谷本歩実さん(39)は秘められた手紙の内容を公開。現実を受け止められない心境と、尽きない感謝の気持ちをつづった。

 今週に入ってから「話ができない状態」と聞き、覚悟はしていたんですけど、まだ受け入れられないというか、向き合えないというか。私にとって、古賀先生は柔道だけでなく、人生の師。ターニングポイントではいつも相談させていただき、真摯(し)に対応していただきました。

 最後に直接お会いしたのは1年ちょっと前の、新潟での柔道教室だったと思います。その後、やりとりのたびに古賀先生らしくない弱気な発言が聞かれるようになって…。昨年の夏「僕からのお願い」というお手紙を頂いたんです。人の役に立つためにこういう人間であってほしいとか、こういう人間になってほしいとか。それで、体調が思わしくないことを察していました。

 私の柔道家としての人生は古賀先生抜きには語れません。2000年のシドニー五輪代表を逃した古賀先生は、当時女子監督だった吉村和郎先生の招きで全日本女子のコーチに就任されました。当時、筑波大1年だった私は、いわば1期生。先生の教えは「心」から入ってくるんですね。柔道家というより、勝負師としての心構え。勝つためになぜ努力が必要かなど、染みるものでした。

 2001年、ミュンヘンで開催された世界選手権の代表に選ばれてからは私の階級(63キロ級)の担当コーチとして指導していただきました。04年アテネ五輪まで「世界で勝つためにどうするか」はすべて古賀先生が考え、教えてくれたと思います。88年ソウル五輪でまさかの黒星を喫して、多くの人に冷たい視線を浴びたこと。96年アトランタ五輪決勝では残り30秒で守りに入ってしまったこと。苦い記憶も包み隠さず、本当に必要なことを伝えてくれました。

 アテネ五輪で金メダルを獲った翌日のことも印象深いです。試合会場に応援に行く最中に「もし2度目の五輪を目指すなら、楽しみを見つけなければならない」と。それは自分の限界を超えることや、技術の向上、新しい技の習得などに楽しみを見いだすことだと知りました。私、今も指導するときに「楽しむ」をキーワードにしているんですが、この教えによるところが大きいかもしれません。

 古賀先生に頂いた手紙の数々は、いつも心の支えです。「歩みを止めなければ実る、とおまえの名前には書いてある」というのも、先生の手紙にあった言葉です。これから、先生がいなくなったことを受け止め、喪失感に見舞われる日がくるでしょう。でも、先生の教えに従って、前に進むしかありません。古賀先生、本当にありがとうございました。

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