90年全日本選手権で死闘 小川直也氏「快気祝いの約束」果たせず 古賀稔彦さん自宅を弔問

[ 2021年3月25日 19:45 ]

古賀さんの自宅前で取材に応じる小川直也氏
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 1990年の柔道全日本選手権決勝で、24日に53歳の若さで亡くなった古賀稔彦さんと対戦した92年バルセロナ五輪男子95キロ超級銀メダリストの小川直也氏(52)が25日、川崎市の古賀塾を弔問した。約2時間半の弔問後、取材に応じた同氏は「まだ信じられないし、ずっと事実の確認っていうのを(したかった)。報道でしか見ていないから。信じられないけど、受け入れがたいのに来た。本当に彼を見て、本当だったんだって、今、悲しいですね。言葉出ないですね」と声を沈ませた。

 語り草となっている90年の全日本選手権決勝。超満員の日本武道館で、「柔よく剛を制す」を期待するファンは古賀さんに声援を送り、小川氏は完全にヒール役となった。だが「自分は悪役になったけど、歴史を作る試合ができたのは彼のおかげだと思うし、そうした中で試合をできた幸せは今も忘れない」と述懐。「“柔よく剛を制す”っていうのを実現しようとする選手がいて、それを自分のプライド、威信に懸けてもってことで、彼が努力で決勝まで上がってきて、お互いリスペクトし合えて、勝った負けたを超えた、戦いができたのが一番印象に残っています」と懐かしんだ。

 68年3月生まれの小川氏は、67年11月生まれの古賀さんと同期。高校から柔道を始めた小川氏にとって、当時すでに全国大会で活躍していた古賀さんは「スーパースター」だったという。その後、並外れた努力で世界王者にまで登り詰め、日本代表ではチームメートとして国際大会や合宿で時間を共にした。「ずっと仲良くしていて、日本代表として、本当に戦友でした」と話し、プライベートでは仲が良かったことを明かした。

 最後に話したのは今年2月。古賀さんの状態を案じた小川氏が電話を掛け、「“良くなったら伊豆に別荘があって、いいところだから快気祝いをしようか”って約束した」という。一方、直接見舞おうと打診したところ、「今の姿を見せたくないから、良くなったら来てくれ」と断られたことも明かした。「最後まで、俺の前では強い稔彦でいたかったのかなって(思う)」と話し、目頭を赤くした。

 天に召された古賀さんは柔道着に身を包み、道場の中央に安置されているという。だがその姿は「平成の三四郎」と称えられた当時のたくましい体躯ではなく、がんとの壮絶な闘いを終えた姿に。「僕に見せたくないくらいの(やせた姿だった)。強い古賀で俺らに会いたいと。彼は完全主義者というか。彼らしい、そういうことも気を使ったんでしょう。本当に、あの約束(快気祝い)を果たせないのが残念です」と、最後まで声を沈ませた。

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2021年3月25日のニュース