追悼連載~「コービー激動の41年」その75 宿敵セルティクスにいたブライアントの同期生

[ 2020年5月1日 08:07 ]

レイカーズのジェームズと談笑するレイ・アレン(左=AP)
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 2010年のファイナル。対戦したのは西地区第1シードのレイカーズと、東地区4位からはい上がってきたセルティクスだった。ファイナルでは通算12回目のライバル対決。2008年、レイカーズは2勝4敗でセルティクスに敗北。2勝1敗とシリーズを優位に進めながら、第4戦で最大25点のリードを守り切れずに敗れたことが響いた。第6戦では92―131で惨敗。2年前のこの出来事は第1戦の前に各メディアで何度も取り上げられ、選手とスタッフの思惑に関係なく「レイカーズ、リベンジなるか?」と騒ぎ立てられた。

 6月3日の第1戦はロサンゼスが舞台。雪辱に燃えていたレイカーズは第3クオーター終了時点で20点のリードを奪い、102―89で先勝した。コービー・ブライアントは30得点をマークし、ここに至るまでのプレーオフ11戦で10回目の30得点超え。この一戦を見た記者たちは「今度はレイカーズが勝つだろう」と思ったはずだ。

 そこがスポーツの落とし穴?「試合はやってみないとわからない」は各競技共通の言葉なのかもしれない。中2日となった6月6日に行われた第2戦ではまるで違う試合展開。敵地ロサンゼルスで火を噴いたのは、第1戦で5反則を犯して12得点に終わっていたレイ・アレンの“長距離砲”だった。当時34歳でNBA14シーズン目。第1クオーターで2本の3点シュートを決めると、第2クオーターは6本中5本を成功。レイカーズはアレンのクイック・リリースによる“超高速3P”にリズムを狂わされた。

 第3クオーターまで同点。第1戦と違ってセルティクスが食い下がる展開となった。第4クオーターに入ると今季レイカーズでプレーしているガードのライジョン・ロンドがこのクオーターだけで10得点。試合全体では19得点、12リバウンド、10アシストのトリプルダブルを達成して103―94での勝利に貢献した。

 しかし試合を作ったのはアレン。放った11本の3Pのうち、ファイナル新記録となる8本をリングの中に通して32得点をマークした。レイカーズが予期しなかった?ベテランの素晴らしいパフォーマンスだった。

 アレンの3点シュートは試投数(7429)も成功数(2973)もNBA歴代1位。生涯の成功率は40・0%に達している実力派のシューターだ。ただしリーグ屈指のシューターとは言え、メカニック(シュート・フォーム)は独特。ウォリアーズのステフィン・カリーのように膝の動きから腕の動きを連動させていくタイプ(ワンモーション)ではなく、かといってオーソドックスなパターンでもある膝を曲げてジャンプしたあとにボールを頭上でセットしてからリリースするタイプ(ツーモーション)でもない。

 多くの選手はボールをできるだけ顔に近い位置から頭上に引き上げているはずだが、アレンには利き手となる右手と顔の間にわずかながら“膨らんだ空間”がある。リリース・ポイントは平均的な選手より体から遠い位置にありループは低い。さらにキャッチ&シュートでは両足のつま先しか使わず、かかとはコートに接地させない。すでに“離陸状態”にある中でボールをもらっているようにも見える。なので始動からリリースまでがとにかく早い。それがレイカーズのディフェンダーを戸惑わせた。

 さてブライアントを含むレイカーズの面々を困らせたリーグ屈指のシューター。1996年のドラフトではコネティカット大から全体5番目に指名され、高卒選手として全体13番目に指名されたブライアントとは同期生だ。放っておくといつまでも練習を続ける姿はよく似ている。ただしブライアントは「もっと上達したいという無限の探求心」で練習を続けていたのに対し、アレンはプロセスが少し違っていた。それは自分でも認めている。彼を突き動かしたエネルギー。そこには病的な部分が隠れていた。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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