荒磯親方 早大大学院合格!ケガに泣いた横綱時代を教訓にスポーツ医科学、身体運動科学を学ぶ

[ 2019年10月26日 05:40 ]

茨城県のアンテナショップイベントでトークショーを行った荒磯親方。右はタレントのますぶちさちよ(撮影・森沢裕)
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 早大大学院の合格発表が25日に行われ、大相撲の元横綱・稀勢の里の荒磯親方(33=田子ノ浦部屋)がスポーツ科学研究科の修士課程1年制(春期)に合格した。入学は来年4月になる。大学院では日本相撲協会の業務の合間を縫ってさまざまなスポーツのマネジメントや育成方法などを研究。研究成果は力士の育成などにフル活用する考えだ。

 今年1月の初場所で17年に及んだ現役生活を終えた国民的横綱が、新たな挑戦を始める。将来的には、部屋付きである田子ノ浦部屋から独立して部屋を持つことを視野に入れている。「令和という新しい時代に適した相撲部屋の構築に反映させていきたい」という思いから大学院受験を決意。入学試験出願資格審査、面接を経て合格にたどり着き「やっぱりうれしい。学んでいきたいし自分のものにしていきたい」とほっと胸をなで下ろした。

 早大大学院スポーツ科学研究科の修士課程1年制は実務経験者を対象としており、「スポーツマネジメントに関する高い能力を持つ指導者となり得る人材、またはスポーツコーチングに関する高い能力を持つ指導者となり得る人材」を学歴に関係なく受け入れる。PL学園高からプロ野球の巨人に入団した桑田真澄氏は大リーグ挑戦を経て09年にスポーツ科学研究科に入学。茨城県内の中学卒業後に角界入りした荒磯親方も“飛び級”での入学となった。大学院では桑田氏と同様に元日本サッカー協会専務理事の平田竹男教授の指導を受ける。平田教授は「相撲界の将来を担う存在。アメリカやヨーロッパのスポーツビジネスも勉強してより良い親方像を模索してもらいたい」と期待を寄せた。

 荒磯親方が大好きなアメリカンフットボールの最高峰であるNFLに加え、野球、サッカーなどのトレーニングなども学ぶことで「力士の育成において大いに参考になる」と指導に生かすことを目指している。他のスポーツのマネジメントを学ぶことで、円滑な部屋運営に役立てたいとも考えている。

 17年初場所で初優勝を果たし、場所後に第72代横綱に昇進した。新横綱だった同年春場所では左大胸筋などを負傷しながら強行出場し、奇跡の新横綱優勝を成し遂げた。その代償は大きく、8場所連続休場を強いられ、在位12場所で引退となった。「自信を持って休むことができれば違った結果になっていたかもしれない」。そう振り返る荒磯親方は、スポーツ医科学、身体運動科学の知識も身につけたいという。

 自分を超えるような力士を育てることができれば大相撲の繁栄にもつながっていく。真摯(しんし)に相撲と向き合って最高位までたどり着いた男は、土俵から離れてもたゆまぬ努力を続けていく。

 ≪日馬富士は現役中に法大大学院入学≫元大関・琴欧洲の鳴戸親方は現役引退後、日体大で学んでいる。母国ブルガリアの国立体育大を2年次に中退して来日。親方となってから、15年4月に日体大に編入した。相撲協会の業務との両立が難しくなり退学したが、日体大は相撲界での功績を称え特別に卒業を認定した。また、元横綱・日馬富士は現役横綱として14年4月に法大大学院政策創造研究科に入学。地域産業プログラムゼミで学んだ。

 ▽早大大学院スポーツ科学研究科 2006年4月に創設。修士課程1年制は実務経験、卓越した技能を有する人材を対象とすることから、大学院での集中した教育を通して高度な知識を身につけさせ、各人の専門職者として活躍の舞台をさらに広げることを目的としている。トップスポーツマネジメント、スポーツクラブマネジメント、健康スポーツマネジメント、介護予防マネジメント、エリートコーチング、スポーツジャーナリズムの6コースからなる。スポーツマネジメントの平田竹男教授のゼミでは多くの元アスリートが学んだ。

 ◆荒磯 寛(あらいそ・ゆたか=元横綱・稀勢の里、本名萩原寛)1986年(昭61)7月3日生まれ、茨城県牛久市出身の33歳。2002年に鳴戸部屋(当時)に入門。同年春場所に萩原のしこ名で初土俵を踏む。04年夏場所に17歳9カ月で新十両、同年九州場所に18歳3カ月で新入幕を果たし、稀勢の里に改名。11年九州場所後に大関昇進。17年初場所後に第72代横綱に昇進。同年春場所で22年ぶりの新横綱優勝を果たした。今年初場所限りで引退し、年寄「荒磯」を襲名した。優勝2回。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。

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