朝乃山「ランニングきつくて」ハンドボールから相撲の道へ

[ 2019年7月3日 05:00 ]

令和初V!!富山の星 朝乃山きときと物語(上)

呉羽小時代、相撲大会で表彰される朝乃山(右)
Photo By 提供写真

 大相撲の令和最初の本場所、夏場所で平幕優勝した朝乃山(25=高砂部屋)が東前頭筆頭で名古屋場所(7日初日、ドルフィンズアリーナ)に臨む。まだ三役経験がなく入門4年目。3回にわたり関係者の証言で新時代のヒーローの足跡をたどる。

 水深1000メートル級の深い谷がある富山湾、そして海抜3000メートル級の北アルプスの一部である立山連峰。雄大な自然に囲まれた富山平野で、スケールの大きな一人のアスリートが育った。のちの朝乃山、石橋広暉は靖さん(62)の次男として生まれた。出生時3600グラム台後半で「特別に大きかったわけではない」と父。現在の兄・卓磨さん(30)、弟・尚也さん(22)ともに1メートル75で横幅はそれほどない。次男は地元名産であり、好物と公言するブリをたくさん食べたのだろう。身長1メートル87、体重177キロと角界の時代を担うのにふさわしい体格となった。父は「顔は似ているけど、私の息子だと気づかない知り合いもいたりして。突然変異かもしれません」と笑う。

 男ばかりの3兄弟で次男坊らしい性格だった。周囲の空気を読んで気を配り、場をなごませるような冗談を飛ばすムードメーカー。「きかん坊なところもあるけど、3人の中ではいちばん陽気。帰宅が遅いと家族の会話が少なかった」。父にとって不満は少し怖がりなところ。東京ディズニーランドなど遊園地を息子と一緒に堪能する夢をかなえてくれたのは長男だけだった。お化け屋敷は「広暉に拒否されると思って声すらかけなかった」。それでも元気に原っぱを駆け回り、食べものの好き嫌いなく、すくすくと成長した。

 富山市呉羽町は、1910年(明治43)夏場所から1916年(大正5)夏場所まで優勝9回を数える横綱・太刀山の出身地だけあって相撲文化が根付いている。呉羽小には父が通った当時から優勝額が飾られ、グラウンドに太刀山道場と呼ばれる相撲場があった。体育の授業では競技の動きを取り入れた「相撲体操」も行われている。広暉少年は呉羽小時代に相撲と並行してハンドボールのキーパーとして活躍し、富山県の強化選手にも選ばれた。呉羽中では「ランニングがきつくて」(本人談)ハンドボールをギブアップ。それに代わる部活として選んだのが相撲だった。中1で出場資格がなかった06年兵庫国体には両親にせがんで南あわじ市の会場まで応援に駆けつけるなど、のめりこむのは早かった。

 「(血液型が)A型でくよくよ悩むところがある」は父の広暉評だが、芯がしっかりしたタイプ。呉羽中での相撲部入部、富山商への進学、高砂部屋への入門など進路について家族には事後報告が多かった。自分の意思で日本の伝統競技に精進する道を選び、十数年後に富山県出身力士として103年ぶりの幕内優勝という快挙を成し遂げる。

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