ラグビー日本代表に桜が咲いた日 かつてエンブレムは「つぼみ」だった

[ 2019年3月4日 10:00 ]

52年に日本代表に選ばれた広畠登さんの胸には「満開」の桜のエンブレム(本人提供)
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 9月20日の日本代表―ロシア代表(味の素スタジアム)で、2019年ラグビーW杯日本大会が始まる。4日で開幕まで200日。節目の日に、代表ユニホームの「桜のエンブレム」のドラマに迫る。現在の「満開」になったのは1952年のオックスフォード大戦(花園)から。しかし、それ以前は「つぼみ」だった。ジャパンはなぜ桜を象徴とし、なぜ戦後に変わったのか――。証言をたどった。

 1952年10月1日のオックスフォード大戦は、日本代表に桜が咲いた日だ。ユニホーム左胸にあるエンブレム。3つの花びらが「満開」になった。今につながるデザインだ。

 戦争などの影響で36年以来16年ぶりの代表戦だった。英国の名門との一戦に出たフランカー広畠登さん(88)は当時、同大生。67年前の記憶をよみがえらせた。

 「ユニホームは知っていたが、見たことがなかった。初めて手にしたときは、桜というより、赤白のジャージーを着られるという感激が大きかった。これが日本代表か、と」

 観衆は1万5000人と残る。入場券は300円。今の価値なら2000円ほどだ。広畠さんの妻・愛也(なるや)さん(80)は、観客席にいた歴史の証人。日本代表だった内藤卓を父に持つ生粋のラグビーファンだった。0―35の大敗でも、場内は熱気に包まれたという。

 「花園は満員でした。日本がボールを持ったら、みなさんよろこんでいました」

 ジャパンが初めて編成された30年、実は、桜のデザインが少し違った。3つの花びらは「つぼみ、半開き、満開」だった。“不完全な桜”は36年まで続いた。初代代表監督、香山蕃(しげる)は、桜の意味を、著書「ラグビー・フットボール」にこう記している。

 「ユニホームの胸を飾る桜は何を語るか、正々堂々と戦えということである。敗れる場合には美しく敗れろということである。武士の魂を象徴する桜は美しく咲く花にあるのではなくて美しく散るところにあることを知らなければならない」

 なぜ、最初は「満開」ではなかったのか。

 日本で初めて世界のラグビー殿堂入りをした関西協会の坂田好弘会長(76)は、73年の英仏遠征前に、元代表監督の大西鉄之祐さんから聞いた話を鮮明に覚えている。英国内での初めての試合に旅立つ前に、都内で出陣式が行われた。

 「つぼみのジャージーを手にスピーチをされました。君たちの先輩は、ラグビーの母国である英国と戦うときが来れば、この胸の桜の花を咲かせようと言っていた、と」

 実際には、その遠征より21年前の52年に「満開」になった。オックスフォード大は英国の伝統校。日本代表が初めてラグビーの母国のチームと対戦するということで“桜が咲いた”のかもしれない。

 広畠さんは「つぼみの時代があったとは。坂田くんに聞くまで知らなかった」と、隠れたドラマに驚いた。当時、代表練習は1日だけ。歴史を伝えられる機会はなかったという。しかし、試合では「背が違う、馬力が違う」という屈強な相手に食らいついた。試合後の晩さん会では、両軍一緒にステーキを食べた。

 9月20日開幕の今年のW杯では、アイルランド、スコットランドと同じA組で戦う。悲願の1次リーグ突破には、ロシア、サモアに勝った上で、強敵のどちらかを倒さなければならない。期待されるのは、勝ち進む姿と、美しく振る舞う「桜の精神」を見せること。咲き誇れ、桜のジャージー。

 《03年が転機「ブレイブ・ブロッサムズ」》日本代表は「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜)」と呼ばれる。15年W杯は、南アフリカを撃破するなど、1次リーグで3勝し、愛称通りの姿を見せた。きっかけは、03年オーストラリア大会。向井昭吾監督率いるジャパンは初戦でスコットランドに11―32で敗れた。しかし、低く突き刺さるタックルで伝統国をヒヤリとさせ、地元紙が健闘を称えて名付けたという。それまでは、胸の桜から「チェリー・ブロッサムズ」と呼ばれた。ニュージーランドは「オールブラックス」、オーストラリアは「ワラビーズ」など、多くの国に愛称がある。

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