アメフトの監督がやるべきこと NFLの名将が語った現場のマニュアル

[ 2018年6月6日 10:00 ]

NFL49ersの故ウォルシュ元監督(中央)。右はモンタナ、左はクラーク(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】悪質タックルとそれに対する責任を巡って揺れ動く日大のアメリカン・フットボール部。部分的には“再興”に向けての動きが見え隠れしているので、ぜひ知ってほしいことがある。

 今回のこの異様とも思える一件で、多くの方が監督の発言や対応に怒りや憤りを感じたことだろう。「こんな人は指導者ではない」。私もそう思った1人だ。では球技の中で最も大所帯となるこのチーム競技で監督はどうあるべきなのか?そこまで踏み込んで答えるのは競技歴のない私にはとても難しいので、私なりの模範回答者を探してみた。

 もう25年も前のインタビュー記事になる。「アメフトの指揮官とはどうあるべきか?」という質問に答えていたのはNFLのフォーティーナイナーズ(49ers)を3度のスーパーボウル制覇に導いたビル・ウォルシュ元監督だった。

 実は彼自身、パワハラの被害に遭っていた。1968年からベンガルズでアシスタント・コーチを7年も務めたのだが、当時のポール・ブラウン監督は部下が他のチームの新監督になることに猛然と反対し、ウォルシュ氏がベンガルズを去っていく際には、各チームの関係者に電話をかけて二度とNFLの世界で生きていけないような妨害工作をしたと伝えられている。

 ウォルシュ氏がスタンフォード大の監督を経てNFLに戻ってきたのは1979年。そのリスタートの舞台が49ersだった。

 ではインタビューで披露した“監督マニュアル”に関する部分を拾ってみよう。これはたぶんアメフトだけでなく、一般社会でも十分に通用する理念や哲学であるようにも思う。

 「独裁者が命令し、他の面々はそれに従う。旧態依然としたこのシステムは、全員が物事に関わっていくシステムよりも構築が簡単だ。スポーツの歴史とはずっとそんな感じだった。しかし現在(とはいっても90年代の話だが…)において監督は管理職でなくてはいけない。だから選手の心の中を見極め、彼らに監督とて“UNIT”の1人であることを認識させることが必要だ」。

 独裁者かUNITか…。日大のケースがどちらかだったのは明白だと思う。

 「監督は選手が恐れることなく意思の疎通ができるように自分のエゴは脇に置かなくてはいけない。もしミスをしても、もしコーチ陣と意見が合わなくても、選手に居心地のいい環境を作っておくべきだ。私は選手から(私自身への)恐怖心を取り除き、物言える雰囲気を作ろうと努めてきた。意見や考えが違うのは当たり前だ。しかしその情報を交換しなくては強いチームにはなれない。情報があればあるほど、物事は迅速に変わっていくものだ」。

 49ersは、ウォルシュ氏が監督に就任した1979年シーズンは2勝14敗だったが、この年に入団したQBジョー・モンタナやWRドワイト・クラーク(6月4日に61歳で死去)らを擁して急速に台頭。1981年シーズンにはスーパーボウル初優勝を飾るなど、ウォルシュ氏がベンガルズ時代の苦い思い出をベースに作り上げた?選手の掌握術は、指揮官となって3年目で花開いた。風通しの良さ、選手が自由に発言できる雰囲気、豊富な情報交換…。これはプロとかアマとかいった仕切りに関係なく、どんな競技でも不可欠な要素かもしれない。

 「監督はコーチや選手に対して技術レベルの目標を設定し、ゲームに対して自分が熟知していることを強い意志とともに示さなくてはいけない。次に最も重圧がかかる場面では指揮官としてしっかり機能すること。そして強いチームの中では何かを決定する時に多くの人間がそこに加わっているはずだ。誰が指揮を執っているかをわからせる必要はあるが、ヘッドコーチ(監督)は常に民主的にふるまわなければならないのだ」。

 日本が米国をお手本にアメフトを学んだのであれば、戦術や技術以外にも吸収すべきものがある。ウォルシュ氏は2007年7月30日に白血病との闘病の末に75歳で死去。しかし騒動を引き起こした日大には、すでに25年前にウォルシュ氏が説いていたとても大切なマニュアルがなかったように思う。でも、今からでも遅くはない。再起を図るにあたり、この競技に含まれている“形のない基本”を全員で掘り起こしてほしい。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。今年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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