織田初V!小塚との一騎打ち大差で制した

[ 2008年12月27日 06:00 ]

初優勝の織田信成はトロフィーの重みによろける(左は小塚崇彦、右は無良崇人)

 フィギュアスケートの全日本選手権第2日は26日、長野市ビッグハットで行われ、男子ショートプログラム(SP)で首位発進した織田信成(21=関大)が、フリーで157・25点をマークして1位となり、合計243・70点で初優勝を果たした。SP2位の小塚崇彦(19=トヨタ自動車)は148・54点で、合計225・94点にとどまり、織田に17・76点の大差をつけられて2位。2人は来年3月の世界選手権(米ロサンゼルス)代表に決定した。

 織田信長の末裔(えい)が、祖先も果たせなかった“天下統一”を成し遂げた。今季1度も成功していない4回転トーループで転倒した織田だったが、残るジャンプを着実に成功。大会前から一騎打ちと目された最終滑走の小塚はジャンプの失敗で得点が伸びず、初優勝が確定すると笑って、そして泣いた。
 「優勝を目標にしていたので、凄くうれしい。みんなの演技が終わるまで緊張してて、緊張が解けてホッとした」
 声が震えるほど緊張した25日のSPで、ライバル小塚に9・05点差をつけた。しかし、ホテルで自分の演技を確認すると、優勝を意識して眠気が遠ざかってしまった。「ロングスリーパーなんで9時間は寝ないと体が動かない」が、前夜は5時間睡眠。それでも、逆転は許さなかった。
 05年12月の全日本選手権。ライバル高橋を抑えて優勝したが、表彰式後に採点ミスが明らかになって2位となり、泣き崩れた。06年も2位。07年は昨夏の酒気帯び運転による出場停止処分で出場できなかった。3年越しの初優勝を「高橋選手がいる全日本で勝ってこそチャンピオンと認めてもらえる」と謙そんしたが、その高橋を欠く世界選手権を、日本のエースとして戦う資格を手にした。
 世界選手権は過去、06年が4位、07年は7位に終わっている。だが、トリノ五輪王者プルシェンコ、05、06年世界王者ランビエル、08年王者バトルら実力者が次々と引退した男子は今、まさに群雄割拠の戦国時代。「世界選手権では表彰台に上れるように頑張りたい」。日本一から世界一へ。信成の野望は、真の天下統一だ。

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2008年12月27日のニュース