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【井原正巳 我が道7】トイレ抜けの代役で初DF やってみると面白かった

[ 2025年7月7日 07:00 ]

筑波大学の入学式で。右から2人目が筆者
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 筑波大学の推薦入試の直前にユース代表候補の1次選考合宿があり、私も招集された。高校2年生の時にユース代表の中国遠征に招集されたが結果を出せず、その後は呼ばれていなかったので驚きもあった。監督は松本育夫さんに代わり、千葉県の検見川で合宿が行われた。松本さんは79年のワールドユース日本大会に出場したチームを率いたことで知られている。練習がハードで「尾崎(加寿夫)は血尿を出しながらやっていたぞ」などと言いながら、1日4度の練習で私たちを鍛えてくれた。

 この合宿で私の人生を大きく左右することがあった。合宿の中頃だったと思う。ゲーム形式の練習の時に、のちに日産で一緒になる宇都宮学園(栃木)のセンターバック(CB)小泉淳嗣がトイレに行って練習を抜けた。サッカーはこういうときでも練習は中断されない。松本監督から「井原、CBに入れ!!」と、いきなり指示されて、ディフェンスラインに入った。

 サッカーを始めて以来、FWやMFなど攻撃的なポジションしかやってこなかった。だが、代表に残りたい一心でCBに取り組んだ。無難にできたし、やってみると面白い。FWの動きは分かるので、逆に「こうすればボールを奪える」と、先読みできる。ボールを奪ったときは充実感もあり、「DFも面白いな」と思った。松本監督は、以前から読みの良さに目をつけていたようで、「これからは、CBでやっていくぞ。チャレンジしてみろ」と、CBに専念することが決まった。DFとしての守り方などを改めて教わった。それにしても、小泉が練習中にトイレに行かなかったら私がDFになることはなかったかもしれない。運命としか言いようがなかった。ちなみにこの時CBでコンビを組んでいたのは中山雅史で、藤枝東高校ではFWだが、静岡県選抜やユース代表ではCBをやる器用な選手だった。

 年が明けて、1月に2次選考合宿、3月頃に3次選考合宿が行われた。もちろん私はDFとして招集されたが、「ポジションはどこでも」と、代表に残るために必死だった。1986年(昭61)4月、筑波大学体育学群に入学した。入学式前の春休みからサッカー部の練習に合流し、総理大臣杯の予選にも出場。そして、5月3日にワールドユースの出場権をかけたアジアユースが韓国の仁川で開催された。参加を辞退した国があったため、韓国と日本の一騎打ちになった。一発勝負で勝てば出場権が得られる。私もCBでスタメン出場したが、2―2で延長になり、2―4で敗れた。世界への道はあと一歩届かなかった。

 もし、ワールドユースに出場していたら、世界がもっと早く身近なものになっていたかもしれない。個人的には「CBとして十分にやれた」という大きな手応えがあったことは収穫だったが、韓国に対する苦手意識を持つきっかけになった試合でもあった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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